入塾審査完了のお知らせ

(書き手)事務局

 6月から2か月間にわたって募集を行った翻訳塾第1期生の課題審査が、本日までに完了しました! 大勢の方からのご応募ありがとうございました。合格者へは既にメールにてお知らせをお送りしております。いよいよ10月から始まるオンライン指導で、皆様にお会いできる日が楽しみです。

 第2期募集の予定はまだ具体化していませんが、将来的にお知らせできることもあるかと思います。その際の参考情報、また、第1期にご応募いただいた方々へのフィードバックとして、ご本人の許可を得て、課題②(「お城四号」の考察)の審査で最優秀となった答案を以下に掲載します。なお、提出時は縦書きでしたが、Web画面での都合上、横書き表示にしています。

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    虚構としての物語の力
   
 イーディス・パールマンは、フォークナー作品におけるヨクナパトーファのように、架空の都市ゴドルフィンを自身のいくつかの作品の舞台として用いている。ファンタジー作品以外の小説に登場する架空の街は、現実のノイズが取り除かれ、より確かな虚構の世界を引き寄せるための装置として機能する。ここで展開される物語は、著者が保障する行き届いた整合性のために、現実に紛れている普遍的な何か、例えば幸福や愛情や人生の美しさ、抑えようのない強い憎悪や孤独を浮かび上がらせ、それらの存在を確信させる。架空の都市で展開される虚構の物語が、読者の現実への親和性を深めるのである。
 本稿で扱う「お城四号」もまた、架空の都市ゴドルフィンを舞台とする物語だ。しかし本作では、ここにさらに虚構の響きが重ねられる。すなわち、「お城」や「騎士」「お姫さま」「ドラゴン」など、中世の騎士道物語を連想させる表現が用いられている。この、いわば二重の虚構をなす物語の構造から、その意図を検討することで作品の考察を行うこととする。
 考察に移る前に、まずは主要な登場人物を整理しておこう。「お城四号」では、三組の男女の恋が描かれる。一組目は恋人同士となった直後に別れを経験するゼフとキャサリン、二組目は物語の最後で恋人同士となったヘクターとヴィクトリア、三組目はこれから恋人同士になるかもしれないジョーとアセルだ。本稿では、彼らにヘクターの娘でありアセルの姉であるカミラを加えた七名を特に論じるべき要素として採り上げる。また、ゼフが刀を仕込んだステッキを持ち、キャサリンが何かでパンを切っている状態で登場し、ジョーがナイフでアセルの危機を救ったこと、およびカミラが彫刻を生業としていることも、考察のための情報として重要である。彼ら四名は全員が刃を持っている。キャサリンとヘクターとアセルは刃を持たず、キャサリンは亡くなり、ヘクターはゼフのステッキを受け継ぐ予定だ。
 二重の虚構の最も素朴な意図として、第一に、騎士道物語の形式の借用が指摘できる。つまり、城に住む騎士がドラゴンや敵と戦い愛を捧げる貴婦人を救うという形式が物語の骨格を成している。騎士に当たるのは刃を持つ四名の登場人物だ。特にゼフはその性質が顕著で、「人の気持ちに敏感な騎士」あるいは「救出する人」として、外科医という「ドラゴン」や不倶戴天の敵である痛みから患者を、特に「お姫さま」に当たるキャサリンを救おうとする。また、ジョーは「短剣で刺されたような痛み」からアセルをナイフで救う。ヴィクトリアは切り分けたパンでヘクターを救い、カミラは彼女が彫り上げた作品で自身と家族を救う。彼らの刃は、騎士の剣の象徴であり、救出する側である印だ。また、物語の終盤でゼフがヘクターにステッキを譲る描写は、キャサリンの死によりゼフが騎士としての役割を終え、ヘクターが新たな騎士となるものと解釈することができる。ヴィクトリアにプロポーズした警備員ヘクターは、他者を救う者に変化したのである。
 しかし、本作を単なる現代版の騎士道物語であるとみなすことはできない。そう考えるには、あまりにも展開が静的だ。例えば、キャサリンの最期が「こうしたことの常として、ほぼ平穏のうちに」訪れたと描写されるように、物語は、「めでたしめでたし」では終わらない。ゼフはキャサリンの前でステッキから抜いた刃を振るうが、剣で倒すことができる敵はいない。剣でキャサリンを救うことはできないのだ。つまり、物語は起伏に富んだ冒険を経て華々しい最後を迎えることなく、虚構でありながら、現実に呑み込まれていく。読者はそれを説得力のある自然な流れとして受け止めるが、騎士道物語の「騎士」が「お姫さま」を救う幻影が重なることで、ゼフとキャサリンの静かでありふれた悲劇から、より大きな哀しさを感じることになる。ここでは、ゴドルフィンの虚構の世界が、想定しうる現実的な世界と、騎士道物語で読者がそう願う理想的な世界との差異を強調する場として機能している。そしてこの機能こそが、二重の虚構の第二の意図である。つまり、より虚構としての性質が強く現実からの距離が遠い第二の虚構を重ねることで、ゴドルフィンで生じる第一の虚構と現実との距離を縮め、物語のなかの不可避の悲劇や貴重な幸運の彩度を強調していると考えられる。
 ゴドルフィンと現実の相似を強調するものとして指摘した第二の意図に対し、残る第三の意図は、ゴドルフィンと騎士道物語を近づける要素の強調として理解できる。すなわち、二重の虚構により重ねて強調される「お城」に焦点を当てるものである。「お城」は冒頭で説明され、最後にヴィクトリアが発言するように、ゴドルフィンに住む人々が病院を呼び表す言葉だ。しかし、本作の題名である「お城四号」は、病院を基準に「お城二号」と「お城三号」を名付けたアセルの視点に基づいている。アセルは、ゼフの解剖学の本に表された心臓を「愛情が生まれた」場所であると表現し、「お城のベッドで横たわるお姫さま」などの他者に憧れる少女だ。つまり、ゴドルフィンに住む虚構の人物であるアセルの視点は、さらなる虚構である騎士道物語の視点に傾いている。「すごく静か」な自宅を避ける彼女が名付けた「お城」は、彼女とジョーの世界を守る要塞だ。しかし森の中のテントを指す二号と、ゼフの部屋である三号には、彼女とジョーの他に他者は存在しない。彼女の城にいる「騎士」すなわち彼女を救う人間はジョーだけだ。この状況が物語の最後で変わる。ヴィクトリアがヘクターと暮らすことを決意したために、家族が過ごす自宅が「お城四号」となるのである。「お城四号」は、ジョー以外の他者と共有される空間だ。つまり本作は、騎士道物語という第二の虚構を浮遊するアセルの視点が彼女にとっての現実であるゴドルフィンの自宅に向けられるまで、つまり二重の虚構が重なる瞬間までを描いた物語であると読むこともできる。「お城四号」を得ることで、アセルはゴドルフィンに強固な居場所を得た。そのためには、ヴィクトリアがヘクターを救い、ヘクターはキャサリン亡きあとのゼフから剣を譲られる必要があった。物語は、思いを通じ合わせたヘクターとヴィクトリアだけではなく、最後まで騎士の刃を持たない「お姫さま」であるアセルをも救うかたちで幕を下ろすのだ。
 最後まで刃を持たず救われることを待つ立場だったキャサリンとアセルは、一方は重ねられた虚構が遠ざかるかたちで死を迎え、他方は虚構が重なり生きていく居場所を得た。しかし片方だけが救われたわけでも、幸福になったわけでもない。それは、現実の人生が単純なハッピーエンドとバッドエンドの二択で語ることができないことと同様だ。架空の都市で展開された人々の物語は、虚構と虚構のあいだを揺れ動く緻密な描写により、現実よりも現実らしい質感をもって読者の記憶に残る。そして読者は、現実の人間に埋没している気高さや愛情の発見に至るかもしれない。それを発見することは、虚構を現実に蘇らせることでもある。パールマンの短篇が名作中の名作であると言われる所以のひとつは、完全なる虚構でありながら我々の現実の視線にまで影響を与える力を持つからである。
                         以上(二九七四字).