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爪痕 ~余白の卒業にかえて~ (旧副代表 多賀陽平)

「あなたを見ていると、円空の木端仏を思いだすの」
僕が今まで言われて印象的だった言葉の中で、有数の芸術点を誇る言葉だ。
その言葉を言ってくれた先生は、もう多分会うことがない人だ。星になったわけでは決してない。ただ、きっともう会うことはないと知っている。そんな人が一人くらいいてもいい。

円空は、江戸時代の修験僧だ。生涯にわたって日本全国を渡り歩き、各地で仏像を彫って残したことで知られている。その仏像は、あわせて12万体にものぼると言われている。
彼の作品の中でもひときわ特徴的な「木端仏」は、木の破片を荒削りして作った小さな仏像だ。「仏像」と聞いて普通思い浮かべるような精巧な作りのものとは異なり、かなり大味な見た目になっている。でも、しげしげと見つめていると優しげに見つめ返してくれるような、おおらかな見た目でもある。

僕の中に木端仏を見出してくれたその先生は、こうも言っていた。
「円空は、木の破片を前にして初めから掘る形を決めていたわけじゃないの。木と対話しながら、筋や節の流れを生かして臨機応変に削り出していく。そうすると、自然とその中から仏像が現れる。まるで、それは最初からそこにあって、見つけ出されるのを待っていたみたいに。」

その人が、どんな意味を込めて、何を思ってそれを言ってくれたのか、あまり思い出せない。多分、それはうまく言葉にできない類のものだ。うまく言葉が見つからないから、わざわざそんなたとえを引っ張り出してきたのだろうし。
でも、木端仏が出来上がっていく過程は、確かにとても魅力的なものだ。木片を前にして、何が出来上がるかなんてわからない。それでも、いま目の前にあるものと向き合い続け、一生懸命に刃を当てていく。するといつの間にか、そこに一体の仏像が現れる。自分に向けて、微笑みかけてくれる。そのとき振り返って初めて、木片に刃を当てたその一回一回が積み重なって1本の道を作っていることに気づく。無駄だったことなんて一度もなかったのだ。
僕もそんなふうに生きられたらいいな、と思う。自分の人生が終わるとき、自分の生きた証が、荒削りでも優しげに僕に微笑みかけてくれたら、きっとこれほど嬉しいことはない。だから今は、日々を必死に生きていくので良い。ただ、荒削りなものの中に潜む美しさに気づけるような心の余白は、持ち続けていたい。

円空が木片に対してしたように、僕らは日々、世界に対して刃を当てる。でも、その刃は円空が持っていたものよりももっと変幻自在で、もっと概念的なものだ。それはときには音であろうし、ときには行いであろう。言葉という形をとることもある。自らの存在そのものだって刃になりうる。
刃を当てる対象も、まちまちだ。具体的なモノであることもあれば、概念的なコトであることもある。ときには人に対して刃を当てる。その意味では、僕らも常に、多かれ少なかれ誰かに刃を当てられている。

早い話が、僕らはいつだって世界に傷をつけないわけにはいかないのだ。あるいは、世界から傷を受けないわけにはいかないのだ。たとえ世界も自分も、完璧な形を失ってしまうとしても。

「言葉」という刃を例にとってみよう。僕はこの手の哲学的議論に関しては素人だけれど、本屋という「言葉」を扱う仕事を細々と生業にしながら、少なからず思いを巡らせてきたのだ。
僕らは「言葉」を用いて、ありとあらゆるものごとを表現する。それは一見、ありのままの世界を表象しているようである。でも、その試みはいつも失敗するのだ。逆に、言葉を尽くせば尽くすほど、ありのままの世界は遠ざかっていく。そして、集まった無数の言葉はパラレルワールドのようなもう一つの世界を作り上げる。「ありのまま」の世界と瓜二つだけど、何かが決定的に違う世界。僕らは、その二つの世界の間を反復横飛びしながら生きている。
そんなふうになるのはきっと、言葉が刃だからだ。言葉という刃を世界に当てたその削りかすしか、僕らには与えられないからだ。古典的な言い回しを使えば、僕らは言葉を用いて世界を「分ける」ことで、世界を「分かる」。少なくとも西洋的なものの見方をすれば、僕らは世界をバラバラに切り刻むことでやっと、世界に似た何かを手中に収めることができる。

「言葉」は、僕らが世界に刃を当てることの不可避性をこのようにして教えてくれる。
それでも、言葉を捨ててでも世界とすきまなく触れ合いたい、と思うことがある。「言葉を失う」のは、そういうときだ。
傷のない世界は、指穴のないボウリングボールのようなものだ。のっぺりした表面は、堅く口を閉ざし、一切の干渉を拒んでいる。それは完璧さを装いながら、そこにある意味を失っている。だが逆に言えば、それは意味づけを必要としないほどの完璧さを放っている。まるで氷の女王のように。僕らは稀に、そういったものにでくわす。『海辺のカフカ』の少年が、山奥で象徴的な村と出会ったときのように。

ただ、それはあくまでも稀なことだ。僕らは大概、あらゆるものを言葉にしたがる。あらゆるものを言葉にして、オリジナルの世界を作り上げる。それは誰にも真似できない。秘伝の製法だ。自分にすらどうやってそれができたのかわからない。
もちろん、他者と異なる世界を生きていることで、うまくいかないこともたくさんある。僕の考えでは、多くの対立はそこから生まれる。私とあなたで、生きている世界が違うことから。あるいは、それに対して想像力が及ばないことから。
それでも、オリジナルの世界を生きているからこそ、自分がそこに存在している証が常に残される。僕が大好きなBUMP OF CHICKENは歌っている。「ふたりがひとつだったなら 出会う日など来なかっただろう」。

だから、生きるとは、誰かや何かと、刃を当て合うことだ。そうやって共に変化していくことだ。共に付け合った傷を確かめ、自らがそこに在った証を残していきながら。
もちろん、傷をつけるのは、しばしばとても怖い。それはときに、そこにあったはずの完璧な世界が自分のせいで台無しになってしまうからだろうし、ときにはもっと文字通りに、誰かを傷つけたり、迷惑をかけたりしたくないからだろう。あるいは、逆に自分が傷つけられる可能性を恐れるからかもしれない。
それでも、きっと僕らはこの丁々発止の世界にしかと向き合い、生き抜いていかねばならない。必死に傷つけ、傷つけられ、生き抜いたその先に、生きた証が微笑んでくれることを信じて。

明日の今頃、僕は飛行機の中にいる。飛行機の中で、経線を飛び越えながら、いつの間にか21歳の誕生日を迎えている。生まれて初めて、1年近くという長い時間を海外で過ごす。
ここに記したのは、本屋余白の副代表としての半年間のまとめであると同時に、この先1年間の決意表明だ。新たな土地の上で、新たな人々や物事と関わりあい、変化していくことへの恐れを振り払うための決意表明。僕は今また、『海辺のカフカ』の少年に勇気をもらっている。

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最後に、本屋余白に関わってくれたすべての皆さんと、(内輪ではあるけれど)誰よりも僕と共に傷つけあってくれた代表の小澤に、心から感謝します。
半年間、ありがとうございました。


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