この夏、スリランカに行きたかった人の話
こんにちは。多賀です。
今回は、あまり本とは関係のないことを書きます。
突然ですが、スリランカについて読者の方はどれくらい知っているでしょうか?
今スリランカは、建国以来とも言われる危機に瀕しているようです。対外債務の累積やコロナによる観光産業への打撃による外貨不足が物価の高騰や輸入の停滞を引き起こし、深刻な経済危機に。怒った国民は大統領公邸を占拠し、大統領は国外に逃亡…などなど。
(こうした情報について完全な正確性は保証できないので、ぜひ公式のニュースを参照してください。)
間違いなく重大な事態であるにもかかわらず、なかなか日本では報道されないですよね。されたとしても新聞の1面を占めることはない。それもそのはずで、ウクライナでの戦争や安倍元首相の死去に比べれば、どう転んでも私たちの日常生活が大きく影響されることは考えにくいのです。
ただ、僕(多賀)にとってはたまたま、スリランカのことは「何処か遠くの世界の話」ではありませんでした。
というのも、もともと僕は7月の後半にスリランカを旅しようと思っていたのです。
昨年末にスリランカに友達が二人できて、彼女らに会いに行きたい、というのが一番の動機でした。スウェーデンへの留学を1ヶ月後に控える中で、日本ともスウェーデンともまったく違う文化を経験しておきたい、という思いもありました。
でも、現地の情勢が悪化するにつれて「流石に無理かな」という思いが強まり、現地の友人たちに電話でそれを伝えたんですね。
正直、「そうだよね、またいつか会おう」って言われて終わりなんだろうなと思っていました。
そしたら、全然違って。
「一人で出歩くのが危ないだけだから、ずっと一緒にいられれば大丈夫」「お父さんも会いたがってるよ」と言って、滞在中ずっと彼女らのご家族とゆっくりできるプランを二人で練ってきてくれたんです。
「そんなに危険な状況なのに呼ぶなんて、リテラシーがない」という考え方もあると思います。でも、僕は逆に、そんな状況でも僕に会いたいと思ってくれる人が遠くの島国の上にいることを、とても嬉しく思いました。
それに、「そんなに危険な状況」と言って一括りにすることで見えなくなるものも少なからずあるようにも思いました。
もちろん、現地には想像もつかないほどの苦しみや怒りを抱えている人はたくさんいるのでしょう。
でも一方で、彼女らが見せてくれるスリランカの写真は、ときに賑やかで、ときに雄大で、ときにのどかで、異郷としての魅力に溢れています。それらの多くは、現地の情勢がどう転んでも変わらない景色です。
また、「大丈夫?食べ物は充分ある?」と聞くと「少し高いけどうまくやってるよ」と返ってくる。「燃料が買えなくて大丈夫?」と聞くと「備蓄があるから大丈夫」と返ってくる。そんな人たちもそこには居る。
彼女らは強がっているのかもしれません。でも、高くなった食料や予備の燃料を少しずつ大切に消費しながら、様変わりした「日常」を力強く生きている人たちがいるということ。それ自体が、忘れてはならない大切な事実なのではないでしょうか。
そんなことがあって、なんとか行けないかとギリギリまで調整を続けたのが先週でした。彼女らが僕に会いたがってくれることが嬉しかったし、僕自身、今のスリランカに飛び込むことで、大きな人間的成長のきっかけを得られると考えたからです。(ちなみに今となっては、少々リスク認識が甘かった部分もあるという反省はしています。充分に対策は講じたつもりでしたが。。。)
最終的には、現地に緊急事態宣言と外出禁止令が発出され、現地に着いたとて空港から外に出ることが叶わなくなったため、計画は断念せざるを得なくなりました。
それまでのテンションの高さとはうってかわったような "We'll meet one day" という短いメッセージから、落胆が伝わってきました。
やっぱり現地には行きたかったし、彼女らにも会いたかったです。何か大きなきっかけを失ってしまったような気がして悔やまれます。
ただ、現地の情勢の移り変わりに身体も心も動かされ続けたことや、(「スリランカ人一般」ではなく)「一個人」としての現地の友人の肉声と思いを電話越しにでも聞けたことは、間違いなく自分に大きな学びをもたらしてくれたように思います。
そんなことを考えていたら、つい先ほど、その二人の友人が国のプログラムに選ばれてこの9月から日本に留学に来ることになったという報告をもらいました。実は、半年前に初めて話したときから待ち望んでいたことだったので、本当に嬉しかったです。
それは、テレビ画面のこちら側や地球儀の外から眺めているだけでは決して知ることのできない、小さいけれど温かな幸せの共有でした。
僕は入れ替わりでひととき日本からいなくなってしまいますが、来年日本に帰ってきたら必ず彼女たちに会いに行こうと思います。