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短編小説『アンドロイドと心中しようか』2

 生きていたくない、等と最近は思わなくなっていた。
 夜中に突然、目が覚めたのは、昼間の陰口を無意識のうちに気にしてしまったからだろうか。
 うっすらとまぶたを開ける。左隣には美しい妻の寝顔がある。
 俺は孤独じゃない。誰が何と言おうと独りじゃないんだ。
 幸次は布団の中で恵《ケイ》の手を握った。
 大学生の頃までは上手くやっていた。勉強は好きではないが、成績は悪くはなかった。今思えば、優秀な父の遺伝子に助けられていたのだけなのかもしれない。ただ当時は友人もいた。数少ない若者同士、団結しようと言う気持ちが強かったのかもしれない。それなりにバカ騒ぎをして楽しんだ。
 ただ自分だけ、働くイメージが全くできていなかった。周りはすんなりと社会へ、会社へ溶けていった。
 自分は大人たちの世界に馴染めなかった。今もまだ子供なんだ。
 目を閉じてそう結論付けるのは、何回目だろうか。幸次の回想は進む。
 難しくなったのは入社してからだった。一代で業界を占有するまでに会社を育てた大実業家、目黒吉勝《メグロ ヨシカツ》の次男坊。期待は大きかった。兄の吉永《ヨシナガ》はすでに営業部で活躍していて、人事部へと移動し、出世コースに乗っていた。コネだけじゃない。兄には父に似た根拠のない自信があり、それがカリスマ的に周囲の目には映っていた。それに比べて自分は……。
 幸次には自信とか野心とかいったものは全くなかった。ただ穏やかに生涯を全うしたかった。だから働いて成果を残そうとか、高給取りになろうと言う発想には縁が無かった。大金持ちの息子だからと甘えている訳ではなく、心の底から贅沢な生活を望まず、穏やかに生きたいと願っていた。
 ただ彼の考えと生まれた環境は合致しなかった。社員たちの期待の目は、日に日に肩透かしだなという憐みに近い目に変わっていった。
 兄はガッシリした体格で、スーツを着ると華やかだった。幸次はスーツに着られている様な風がいつまで経っても抜けなかった。
 できる感じを演出することができなかったし、なにより動きが鈍かった。普段使いしているホロ・ウォッチも社内だと上手く扱えなかった。
 期待という重しが外れてやっと冷静に分析できる様になっていた。知らず知らずの内に期待に応えようとして、自ら兄と比べ、ミスを恐れた。臆病になって、人間との会話もおぼつかなくなった。
 細く冷たい息を吐く恵が、寝返りを打って幸次を見る。溜息に気付かれたのかと幸次は思った。
 実の所、彼女は眠らない。エネルギーを消費しつつ、眠るフリをするように幸次が設定していた。エネルギーは幸次が留守の間、恵が自分で充填するのが常だった。
 もし気付いて寝返りを打ってくれたのなら。幸次はそう想像しながら妻のはだけた胸元を見た。本物より美しい乳房だと思った。金目当てですり寄って来た人間よりも間違いなく美しい。
「どうしたの?」
 恵の寝息のように小さい呼び声に、幸次は驚いた。最高レベルのAIを搭載しているとはいえ、眠るフリをしている時間帯に反応してくれるだなんて。
「ちょっと人生を振り返ってたんだ」
 暗いセリフとは対照的に幸次の顔は明るくなった。恵が優しく微笑んで聞く。
「何かあったの?」
 アンドロイドの反応としては珍しかった。人間が明るい表情を見せれば、喜びや楽しさとして感情をくみ取るのが通常のアンドロイドだ。表情の裏にある悲しみを察してくれたのだろうか。
 幸次は驚いてから再び喜んだ。
 幸次は自分の失敗や恵と出会うまでに感じていた自殺願望について、深刻ではない風を装って話し始めた。話し終える頃にはスッと肩の荷が下りていた。
 幸次の左手の甲に恵の右手が乗る。冷たい手だった。夢ではなく実際にアンドロイドの妻は幸次の手を握っていた。
 
 もう生きていたくない。
 2年前、33歳の誕生日。引きずられるように動く足を見ながら、帰り道でそう考えていた。
 11年もの間、孤独だった。期待の目は憐みに変わり、数少ないフロア3の人間たちも同じ目で見る。業務に変化はなく、心を殺して会社に居座る日々。
 仕事が終わりこれから自宅に帰っても誰も居ない。
 咳をしても一人。そんな自由律俳句があったことを思い出しながら幸次は独り足を動かしていた。
「ご自宅にアンドロイドはいかがでしょうか?」
 夕暮れ時の中、元気な男声が聞こえた。アンドロイドショップの前で20代後半の男が客寄せをしている。しかし立ち止まる者はなく、彼の目の前を沢山の労働型アンドロイドと少数の人間が通り過ぎていた。
 幸次はその男がいたたまれなくなって、ショップの前で立ち止まった。
「どんなアンドロイドが居ます?」
 アンドロイドを重用して商談に失敗した今も、アンドロイドを嫌いにはなっていなかった。
 店員が声と同じような明るい表情を見せて答える。
「事務仕事用から介護用、生活用までどんなタイプも揃ってますよ」
 店員は幸次を店内に誘導しながら言った。
 前面に押し出されているのはK13型だった。実際に品揃えは良さそうだ。
「どんなアンドロイドをご希望ですか?」
 そう訊かれた途端、しまった、と幸次は思った。元々、希望などなく見るだけのつもりだった。こうなると上手く言葉が出なくなる。幸次がモゴモゴしていると、男性店員は声を潜めてささやいた。
「もかして、お相手用ですか?」
 卑猥な言葉を発した店員の表情に、いやらしい感じは全く無い。
「いや……。その……」
 幸次は不安を取り除くような会話をしてもらってもなお、会話を円滑に進めることのできない自分を恥じた。幸次の事情など知る由もない男性店員は話を進める。
「なるほど。お優しいのですね、お客様は。確かにお相手用のアンドロイド購入に躊躇いのある方はいらっしゃいます。AI、つまり人の思考に似たものを持つアンドロイドに性的欲求を向けるという事は、セクシャルハラスメント、いやそれ以上の暴行に近いのではないかと考える人も居る。抵抗できない人型ロボットに対してそんな事を……と。しかし法律的に問題はありませんし、アンドロイドが嫌がったりしたという報告もありません。アンドロイドと性交するのを嫌悪する人もいますが、私どもからすると何の問題もない事です」
 寂しい店内であるにも関わらず、大き過ぎず小さ過ぎない絶妙な声量での説明だった。
 2人は歩きながら会話を続けて店の隅の方へと向う。
 この辺りは特に顔や体つきの造形に力が入っていると分かるアンドロイドの展示が多かった。
「さすがに結婚や交際ともなると敵意を向けられる事や白い目で見られる事もあるのでしょうが」
 男性店員はバカにする風でも無く、淡々と言った。それでも幸次の心はビクついた。
「やはり……。やはりそうでしょうか。その……。アンドロイドと良好な関係を築こうとする人間は……。反人間的というか、社会不適合であるとか……」
 目の前の男性店員もやはり完全に人類側の意見を持っているのだろうか。やはりこんなことは言うべきではなかった。
 幸次は頭皮にじんわりと汗が浮かぶのを感じた。
 質問された男性店員が周囲を見渡す。店内に人影はない。多くの店と同様に、ほぼ無人販売で営業しているからだ。2人の他に動いているのは店の外で客寄せをしている、可愛らしい20代風の女性アンドロイドだけだった。
「実は……私個人としては、人とアンドロイドが交際してもいいとさえ思っているんです。大声では言えませんけど」
 2人の足は1体の女性アンドロイドが眠るショーケースの前で止まっていた。
 幸次はなにも言いだせなかった。ただ心の中で安堵していた。
 男性店員がショーケースの中の女性を勧める。
 黒くて長い髪。額は広く、まぶたを閉じてはいるが、少し目が大きいのが分かる。
「K13型です。AIは積み替え可能。家具、と言う体でご自宅に運搬するサービスも行っております」
 彼女を見て、幸次は体温が急上昇していくのが自分で分かった。心臓が手足に血液を流し込むような感覚がある。
「ご来店ありがとうございました」
 小声で男性店員が言った。
「こちらこそ」
 幸次も小声でそう言った。それから幸次は家路を急いだ。K13型が家に届くのは先の事だ。それでも幸次は早く家に帰りたかった。

※上記が1話目です

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