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『計算機と脳』 – 日めくり文庫本【12月】

【12月28日】

数学の言語ではなく脳の言語

 この主題をさらに追求していくと、必然的に言語[#「言語」に傍点]の問題に至る.すでに指摘したように,神経系は二つの型の通信に基づいている.算術的な表現を含まないものと含むもの,つまり,命令の通信(論理的な通信)と数値の通信(算術的な通信)だ.前者を本来の言語,後者を数学と呼んでもよい.
 言語はおおむね,歴史的な偶然の産物と了解するのが適切だろう.人間の基本的言語は昔から,様々な形で私たちに伝わっているが,多数が存在すること自体,言語には絶対的なところも必然的なところもないことの証だ.ギリシア語やサンスクリットのような言語が生まれたのは歴史的事実であって,論理的必要性によるものではないのとちょうど同じで,論理学と数学もまた,歴史的・偶発的な表現形式と見なすのが理にかなっている.論理学と数学は本質的な変種を持ちうる.つまり,私たちに馴染みのあるもの以外の形でも存在しうる.実際,中枢神経系とそれが伝達する通信系の特質から,それがはっきり見て取れる.すでに十分な証拠を積み重ねてきたから,中枢神経系がどんな言語を用いているにせよ,私たちが通常親しんでいるものよりも小さい論理深度と算術的深度を特徴としているのがわかる.それが如実に物語っているのが次の例だ.人間の網膜は,目で知覚した視覚映像の大幅な再編成を行う.さて,この再編成は,網膜上で,より正確には視神経の入口で,連続した三つのシナプスだけ,すなわち,連続した三つの論理的段階だけで行われている.中枢神経系の算術的処理で用いられている通信系の統計的性質と精度の低さからも,ここに関与する通信系の中では,前述のとおり精度の劣化があまり進みえないことがわかる.したがって,ここには,私たち論理学や数学で通常慣れ親しんでいるものとは異なる論理構造が存在しているのだ.そうした構造は,すでに指摘したとおり,私たちが同様の状況下で馴染んでいるものよりも論理深度も算術的深度も小さいことを特徴とする.このように,中枢神経系における論理と数学は,言語として眺めたときには,私たちの日常経験に当てはまる諸言語とは,構造上,本質的に異なっている.

——J.フォン・ノイマン『計算機と脳』(ちくま学芸文庫,2011年)78 – 79ページ


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