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『ことばの歳時記』 – 日めくり文庫本【7月】
【7月27日】
この夏松山で、往年の平泳の名選手、鶴田義行氏に会って、一夜話し合ったことがある。鶴田と言えば、アムステルダムとロサンゼルスと二度のオリンピック大会に、連続金メダルを獲得したことを、覚えている人も多かろう。それは二十六歳と三十歳のときだったというから、選手としての生命の短い水泳では、異例のことである。今や六十歳を越えた鶴田氏は、半白の老人だが、さすがに鍛えたたくましい体軀をもち、膚は日に焼けて光り、コップで豪酒をあおった。松山郊外の海浜に水泳学校をひらき、その校長となって、幼稚園児から六十代の老人に至る数百人の人たちに、泳ぎの基本を教えていた。老後の鶴田氏にふさわしい仕事である。
そのとき、ふと氏は「狭いプールなどで、少しばかり早くなってみてもね」とつぶやいた。この言葉は、しみじみとした感じを伴っていた。かつてプールで、二度まで世界の覇者となった人だけに、いっそう心に滲みとおる響きを持っていた。そのときの鶴田氏よりも、老幼の松山市民たちに泳ぎを教えている今の鶴田氏の方が、いっそうスポーツマン精神を体していることにならないだろうか。少しばかりの速い遅いをきそうことは、どうせ若い世代にだけ出来ることである。それに、泳ぎの意味は速い遅いということだけで、かたづくことではない。
何時か河上徹太郎が、年を取ると、幾何学的な図形を引いてやるスポーツには興味がなくなる、と言った言葉を思い出した。氏は中年以後のスポーツとして、ゴルフ、狩猟、ヨットなどを教えている。みな自然の地形を相手としているスポーツである。水泳も、プールで速さをきそっているだけでは、若い年齢層のスポーツだろう。鶴田氏の水泳学校は、プールにでなく、海浜に開かれているのである。
日本には漁民が多い。幼いころから海に入っているはずだが、これがそのまま水泳選手のプールとはならない。能登輪島の海人集落の出身だという山中選手など、そのまれな例である。そのことを鶴田氏をただすと、漁村の青年たちは、泳ぎがうまいことを隠したがると言った。それは漁村の出だということを証明するようなもので、はずかしいことだと思っているらしい。海洋国日本で、意外なところに、すぐれた水泳選手が輩出するための障碍があるらしい。そういうことから啓蒙してかからなければならないとすると、鶴田氏の仕事も、思わぬ大事な問題をかかえていることになる。決して、せまいプールで少しばかり速さをきそうためばかりではない。
「泳ぎ」より
——山本健吉『ことばの歳時記』(角川文庫,2016年)167 – 169ページ
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