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『一汁一菜でよいという提案』 – 日めくり文庫本【12月】

【12月17日】

「お刺身」と「魚のなま」は違います。私たちはただ鮮度が良いから食べるのではないのです。魚が獲れた後、それを宝物のように大事に扱い、内臓と鱗を除き、水で洗い、水分をふき取ります。三枚におろし、さく取りする。包丁を取り替えて美しい切り身にしたものを、皿の上に一つの景色を描くように盛る。この一つ一つの作業すべてにけじめをつけ、常に場を浄めてから次をはじめる。魚をただの食材とは考えていないからです。
 料理を「作る」と書いても、「造る」とは書きません。「造る」という字をあてるのは酒や味噌の醸造であって、通常、人間が作り出すことのできないものです。そして刺身だけは「お造り」という字を書く。その意味が刺身にはあるからです。それは、魚を神と信じ、魂はお返しして肉を恵みとしていただく、古代の人の心です。アイヌにとって貝塚は送り場であり、恵みを与えてくれた魂を葬るところとなります。

 こういった縄文から持ち続けてきた性質は、「清潔・きれい好き」「もったいない」という感性として残っています。遠い昔から持ち続けている「けじめ」。「始末をする」とも言いますが、それは場を浄め、一度きれいにしてから新たにおこなうこと。この習俗は今でも慣習となって残り、他国ではできないほどの正確なものを作り出します。きれいなものを生むのは、決して手先の器用さではありません。
 私たちは、「きれい」という言葉を日常で頻繁に使います。「きれい」という言葉には、美しいだけでなく清潔という意味が含まれ、更に、正直な仕事を「きれいな仕事」と言います。嘘偽りのない「真実」、打算のない「善良」、濁りのない「美しさ」という、人間の理想として好まれるものが、「真善美しんぜんび」です。その「真善美」を「きれい」という一言で表してしまうのが日本人なのです。

「おいしさの原点」清潔であること より

——土井善晴 『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫,2021年)139 – 140ページ


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