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『ことばの歳時記』 – 日めくり文庫本【4月】

【4月18日】

  うちなびき春来たるらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲き行く見れば   尾張連(万葉集)

 この歌など、村から山の際の桜がいっぱいに咲いているのを眺めて、嘆賞しているのであるが、同時に花の咲くさまを見て、その年の収穫を予祝する気持も伴っていよう。花の咲くのを見て、幸を思うのも、原因は遠いところにあったのだ。
 山の桜にも遅速があって、次第に高いところに咲き上って行く。そのような一つの時間的経過を、この歌は含んでいる。私がそういう意味のことを書いたら、林房雄氏が、家から見える山の桜は、高いところから低い方へ咲き下って行く、と異論を唱えた。場所にもよるし、日当りのぐあいにもよるだろう。
 ともかく、山の桜を見てその年の稲のみのりを占ったのだから、それは稲の花の象徴なのである。花が予定より早く散ると、その年の収穫にとって、悪い前兆である。そのことから、平安朝の初めごろから、花鎮めの祭(鎮花祭)と言って、「やすらへ花や」とうたいながら、花が散らないように念じ踊った。日本人が、桜の花の散るのを惜しむ気持のもとには、そのような信仰の伝承がある。美しいものが散り失せるのを惜しむ気持の前に、稲の花と結びつけて考えた切実な願望がある。
 今でこそ花と言えば、栄えること、花やかなこと、盛りのとき、あるいはもっとも楽しいときを意味するようになっている。だが昔は、花と言えば、もろさやいつわりや上べだけのことという意味があった。それは散りやすいものであり、頼りなく散って行くものであった。春と夏との交替期に行われる鎮花祭には、もっとも切実な気持で、花のやすらうことを祈った。やすらうとは、躊躇する意味で、後に休息することに転じた。「やすらへ、花よ」とは、そのまま、じっとしていてくれよ、という意味だ。桜の花が稲の花に見立てられ、田の稲虫をはらう意味から、人の疫病その他、生活上のあらゆる災いを鎮めることに、考えが拡がって行った。そのような生活上の切実さが進行を脱落させると、花そのものへの愛情の切実さに転化して来るのだ。

「花 その一」より

——山本健吉『ことばの歳時記』(角川文庫,2016年)90 – 92ページ


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