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『存在の耐えられない軽さ』 – 日めくり文庫本【5月】

【5月28日】

 われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれ、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。これがニーチェの永劫回帰の思想をもっとも重い荷物(das schwerste Gerwicht)と呼んだ理由である。
 もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとしてあらわれうるのである。
 だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?
 その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。
 それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同時に無意味になる。
  そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?
 この問題を提出したのは西暦前六世紀のパルメニデースである。彼は全世界が二つの極に二分されていると見た。光——闇、細かさ——粗さ、暖かさ——寒さ、存在——不存在。この対立の一方の極はパルメニデースにとって肯定的なものであり(光、細かさ、暖かさ、存在)、一方は否定的なものである。このように肯定と否定の極へ分けることはわれわれには子供っぽいくらい単純にみえる。ただ一つの例外を除いて。軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?
 パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。
 本当かどうか? それが問題だ。確かなことはただ一つ、重さ——軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。

「第Ⅰ部 軽さと重さ」より

——ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫,1998年)8 – 10ページ


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