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『南方マンダラ』 – 日めくり文庫本【5月】

【5月18日】

 ここで熊楠が考えていることは、とても大きな現代的な意味をもっている。まず彼は、人間の心の働きが関係するいっさいの現象についての学問にとって、いちばん重要な意味をもつのは「事」であるけれども、この「事」は対象として分離することができない構造をもっている、と言っているのだ。「心界」における動きが、それとは異質な「物界」に出会ったとき、そこに「事」の痕跡がつくりだされる。しかし、その「事」はもともと「心界」の動きにつながっているものだから、「心界」の働きである知性には、「事」を「物」のように対象化してあつかうことはできないのだ。しかし、その分離不可能、対象化不可能なダイナミックな運動である「事」をあつかうことができなければ、どんな学問でも、自分は世界をあつかっているなどと、大口をたたくことはできなくなるわけだ。
 ここには、二十世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点が、すでに熊楠独自の言い回しによって、はっきりと先取りされている。「心界」から独立した、純粋な「物界」などというものは存在できない。観測がおこなわれるときには、かならず人間の意識の働きが関与している。つまり、どんな物質現象でも、それが人間にとって意味をもつときには、すでに「物」ではなく、「心界」と「物界」の境界面におこる「事」として現象しているために、決定不能の事態に陥ってしまうのだ。量子論は、パラドックスにみちた「事」の世界を記述するための方法を、いまだに探究しつづけている。熊楠は量子論が生まれる三十年も前に、「事」としてつくりだされる世界の姿をとらえ、それをあきらかにするための方法を、模索しだしていた。
 それが、十年後の「南方曼陀羅」の思想に結晶するのだ。熊楠は「事」として生まれる世界の本質をとらえる方法が、真言密教のマンダラの思想の中に潜んでいることを、直感的に理解していた。西欧で発達しつつある、現代の学問の限界を食い破っていく思想が、仏教の哲理の中に眠っているらしいということを、彼は知っていた。熊楠の考えでは、科学と仏教は対立しあうものではなく、科学はマンダラ思想のような東洋の哲理と結合されることによって、かえって自分を完成させることができるはずなのだ。土宜法竜にむかって、彼はこう書いている。「何とぞ今より仏教徒も、科学哲学は仏意を賛するものとでも見て、隆盛せしめてほしきなり」。このとき熊楠は、現代のニュー・サイエンスを先取りすること、じつに八十年。だが、そのときそれを知りえたのは、土宜法竜ただひとりだった。

中沢新一「解題 南方マンダラ」より

——南方熊楠、中沢新一 編『南方マンダラ』(河出文庫,2015年新装版)78 – 79ページ


高野山真言宗管長などを歴任した土宜法龍がロンドンで南方熊楠と出会ったのが1893年(明治26年)で、1894年(明治27年)に夏目漱石が鎌倉の円覚寺で参禅したのは臨済宗円覚寺派管長の釈宗演。なんだか、二人の著作に滲み出ていますよね。

/三郎左

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