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#20 脚本家・渡辺あや「龍を描く」(2020.7.10&17)

渡辺あやだ。

渡辺あや、だ。

だから渡辺あやだって言ってんだろ!!!……すいません、思わず取り乱してしまいました。だって渡辺あやさんですよ。あの『ジョゼと虎と魚たち』(03)の。

あの『その街のこども』(ドラマ10/映画11)の。

あの史上最強の朝ドラと誉れ高い『カーネーション』(11)の(尾野真千子×椎名林檎!)。

そして今をときめく脚本家・野木亜希子さん(『MIU404』『逃げるは恥だが役に立つ』『アンナチュラル』……)に「生ける伝説」とまで言わせてしまった――。

前フリ長すぎですね、ハイ。ということで今回は私が敬愛してやまない脚本家・渡辺あやさんとの会議。島根の仕事場とZoomでつないでお話しました。あ、後ろに猫ちゃんがいるよ! にゃ~。

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まずはご自身が脚本を書かれ、NHKドラマから映画へと発展した『ワンダーウォール劇場版』が重要議題。さて、どんな話なのでしょう?

最初はもっと柔らかい話というか。「就活に悩む大学4年生の女の子が不思議な寮に迷い込んで、そこで出会った面々と交流するうちに自分の道を見出していく」というプロットが監督から届いたんです。私はプロットの“大学4年生の女の子より“不思議な寮”の方に興味が惹かれて。それまで古い学生寮が全国的に廃寮の危機にあるという話は聞いてたんですけど、それが個人的に日々のくらしの中で感じていた社会に対する問題意識と重なって、そっちの話にさせてもらうことにしたんです

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作品の「主人公」は100年以上の歴史を持つ大学の学生寮。なにやら昭和を思わせる濃ぃ~その寮は、しかし大学側から解体を迫られており、寮を守りたい学生側と衝突が起こる……というストーリー。ではなぜあやさんはその「不思議な寮」に惹かれたのでしょう?

この作品の監督は撮影時25歳だったんですけど、ああいう寮に取材に行ったとき寮生たちの鍋パーティに呼ばれて、今までの人生で感じたことのない安らぎを感じたって言うんです。彼は小ぎれいでシュッとした今風の男の子で、これまで人とこんなに近い距離で接したことがなかったらしく。つかみ合いのケンカや熱い議論を戦わせることもなかったらしいんです。その彼がグチャグチャの空間に入ったときに初めて安らぎを感じたと聞いて、意外と他にもそういう人はいるんじゃないかと思ったんです
今って人を雑菌の塊みたいに扱いがちというか。「きれいで整っていればそれでいいのか?」というと人間は必ずしもそうではないという気持ちが常にあって。人って自分の枠組みがぐちゃぐちゃになるほど混乱していたり、ちょっと怖かったりするものに惹かれたり。自分の理解を超えたようなものに自身を投じてみたい気持ちを持ってると思うんです。自分の枠組みをひとつ外したときに初めて、自分が出会ってこなかった体験が得られるというか

あやさんが感じる今の社会に対する問題意識は、そのまま「今の若者」に対するまなざしにもつながります。

一番感じたのは戦うとか声を上げるということをすごく深くあきらめているということ。「この寮を守りたい、残したい」と強く思っていることは伝わってくるけど、そこから声を上げる、意志表示をするということはしたくない、してもしょうがないと思ってる。そのあきらめの感じが印象深かったんです。一体何が彼らをあきらめさせてしまってるんだろう? この温度の低さは何だろう?っていうのが気になって。きっとこの“あきらめてしまっている理由”こそいま描くべきことだと思ったんです

あやさんの目が捉えた「あきらめてしまっている理由」がどういうものかは作品を見てもらうとして、ひとつだけ触れさせてもらえば、この作品、「イマドキの若者」を描く一方で「イマドキの大人」も描いてるんですよね。

大学側が「お金を集めることが大事だから学生の言い分を聞いてるヒマはない」という態度で壁を立ててしまったとき、その先に望ましい未来があるのか?っていうのが、私にはどうしてもうまくイメージできなくて。そこが一番大事というか、学生が対話を求めたとき大人たちが受け入れるべきなんじゃないか、と思うんです。お金のために本来一番大切にすべきものを捨ててしまっていいのだろうか、という

キーワードは「ワンダーウォール」。それはおどろきの壁か、奇ッ怪な壁なのか。これはね、2020年のいま観るべき作品だと思いますよ!

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後半は脚本家という職業についてクエスチョン。普通に疑問なんですが、小説は書こうと思わないんですか?

私の場合、一番最初に自分の中に物語が湧き起こったとき、それを書き留めたら脚本になったって感じなんです。私は小説家になれるほど自分の文体を持ってないし、脚本だとト書きとセリフだけで紡いでいけますから。脚本は自分が思ってもみなかった誤読をされることもあるけど、逆に自分が思ってもみなかった解釈が生まれるときもある。脚本を通じて多くの人たちと接点を持てることが私は一番面白いと思ってるんです

自分だけで完結する小説ではなく、あくまで共同作業の叩き台である脚本への愛着。でも物語を紡ぐ=脚本書くのってつらくないですか?

「書いてるときが一番楽しい」と思うようにしてるところもあります。そうじゃないと監督さんや役者さんに渡すのは失礼だと思うので。でも実際やってて楽しいんです。書いていると自分でも不思議に思うことが起こるし。脚本を書くという態勢にならないと見えないものが見えたり、思い付かないことを思い付く。そんな楽しさがあるんですよ

具体的な質問です。お話をつくるときって、プロット(話のスジ)を作ってから書きます? 渡辺あやワールドって、どうしてあんなにキャラクターがリアルに動いてるんですか??

私はプロットは書かないで、ある程度キャラクターを作って大きな流れを把握したら、物語の頭から書いていきます。だからいろんなセリフや出来事は書きながら生まれます。だって私たちの普段の生活も、次の瞬間に何が起こるか知らずにすごしてるじゃないですか? それとまったく同じですね。「そんなので話がまとまるの?」って毎回不安になるけど、でもまとまるんです。ちゃんと落ち着くところに落ち着くというか

まさに「物語の登場人物と一緒に生きる」書き方。だから話にウソがないんです。人は駒じゃないんです。そしてあやさんの思う理想の物語とは?

なんか龍を一枚の紙に収めるような感覚なんです。龍を決まったスペースに収めながら、龍の迫力や命、躍動感を表現するってすごく難しいと思うけど、理想はそこなんですよ

おおおおお、四角い紙に龍を描くという感覚。頭からか尾からか、うねうねとうねり、暴れ、吠え、全身にみなぎるその迫力をいかに一筆書きで紙の上に定着できるか……これ個人的には墓場まで持っていく金言ですよ!

会議では勢いあまって自分の悩みも相談してしまいました。あのー、僕、自分が作るフィクションの世界より、世の中で起こるドキュメンタリーの方が面白い気がして小説書けないんですけど、あやさんはどう思います?

今って現実が面白すぎますよね。想像をはるかに超えるようなことが起こる。なのでその困り方は私もわかりますけど、でも面白いものはまだたくさんあると思うんです。私の場合、それは人で。人と人の関係とか。たとえばちっちゃいマスクが送られてきたときの人の反応とか、そのマスクをめぐって人と人がどう会話するのかとか(笑)。フィクションの役割って、ニュースやドキュメンタリーに映らない面白さだと思うんです。でも紐解いていくと「こういうことって実はあちこちで起こってるよね」っていう。それが私がものを作っていく動機ですかね

最後のメッセージも、強く心に残るところがありました。今の話です。

今はコロナという状況を抜きに話せないですけど、ものを作ることには2つあって。「自分が作りたいから作る」と「作ることによって得られるお金やキャリアなどのために作る」。私たちは常にその2つの間で迷いながらプロとしてやってるわけですけど、おそらくこれからは「自分が作りたいから作る」方の意識を強めた方がいいと思います。というのも今後はコロナによって成果や報酬もゆらいでいくし、そうなると後者だと創作に迷いを生じると思ってて。かと思えば、自粛期間中に「自分が本当にやりたいのはこっちだった!」って見つけた人が元気になってたりしてて。これはものを作る人に限らないけど、「自分はこれさえやっていれば元気になる」というものを自分の中に取り戻すことをぜひやってもらいたいと思います

ちなみにこの会議の後、あやさんとは広島・横川シネマでの『ワンダーウォール』舞台挨拶でも再会。いやー、嬉しかった。今後も個人的な道しるべとして、末永くお付き合いさせていただければと思います!

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2020.7.4 on-line

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