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子育てしてると絶対友達になりたくない嫌な自分がどんどん現れる現象に名前をつけたい

娘がアデノウイルスにかかり高熱が続いている。生まれて初めての感染症&連日の高熱に、さすがの娘も辛そうだ。代わってあげたい、娘の体内にある菌を全部吸い込んでしまいたいと、本気で思う。

しかしこれは自分のためでもある。早く治って元気に保育園に行ってほしいのが本音だ。これだけ書くと、まるで娘が邪魔者のように思えてしまうが、決してそうではないのだ。

娘は、可愛い。とんでもなく。だけど、子どもを育てることは、少なくとも私には人生最大の苦難のように感じる。

なにが辛いって、今まで隠れていた(隠していた)自分の嫌なところにとことん気付かされることだ。これまでの人生、周りの人に恵まれていたおかげで、比較的自己肯定感高めに生きてきた。だけど、娘を産んでからというもの、自分が想像もしていなかった醜い自分をよく見るようになった。

一番登場する嫌な私は、とにかく言い訳が得意だ。例えばこんなふうに。

例:泣きわめく娘にイライラ、発狂したくなる
言い訳①ワンオペが続いてるから疲れているんだ
言い訳②生理前だからだ
言い訳③最近1人の時間作れていないからだ

例:私がメンブレしてる中平然と育児をする夫にイライラ
言い訳①普段娘と一緒にいる時間が短いから可愛くて仕方ないんでしょ
言い訳②私の方が負担大きいんだから余裕があるんでしょ
言い訳③娘を見ているとは言えYouTube見せて自分はスマホいじってるんだからそりゃ楽でしょうね

自分でこうやって言語化すると、なんとまあひどい人間なのでしょう。でもどうしても気が付いたらこんなふうに考えてしまうのだ。言い訳を考えることで、「私は悪くない」「私が一番大変なんだ」と自分を守って精神を安定させてるんだと思う。そうでもしないと、私の心はほろほろっと簡単に崩れてしまう。

でも昨夜、言い訳の限界を感じた。
高熱で寝苦しいのか、娘は夜中に何度も起きた。1回目に起きたのが3時半。このとき私は娘が泣いていることに気付いていながらも、起き上がれなかった。正確には、夫が先に起きた気配を感じ、「もういいや」と起きるのを諦めた。

2回目、4時半。今度は気合いで起きた。夫と2人で娘を落ち着かせた。寝ぼけ眼で夫に「さっき起きれなくてごめんね。」と謝った。夫は「起きれないなら起きれないで、せめて目を開けて娘の様子を見て。さっきは泣いている娘を無視してるようにしか見えなかったよ。」と言った。

グッサーーーーーーカッチーーーーーーンという音が心と頭同時に響いた。いうまでもなく、すかさず言い訳の得意な私が目を覚ました。

『だって・・・』連日の看病と在宅保育で疲れている。夜中に起こされたらそりゃ眠い。お風呂もゆっくり入れない。1人の時間も過ごせない。仕事もまともにできない。

ここまで考えたけど、この先の言葉が出てこなかった。夫だって私と全く同じ状況だったということに今更気が付いたからだ。
むしろ、フルリモートで休みやすい環境の職場にいる私と、車で片道30分の通勤があり、主導している会議が立て込みなかなか休みにくい夫。あらゆる面で私よりもハードにも関わらず、この3日間毎日午前休を取って、私が仕事をしている間娘を見てくれていた。

私は心底自分に失望した。自分を守るために言い訳を考えて、「私が私が」って、周りもよく見ずに自分のことしか考えていなかった。こんな自分、知りたくなかった。

言い訳って、息をするように簡単にできてしまう。だからこわい。思考の癖ともいうべきか。

今回のことで、とんでもなくかっこ悪い自分に気づいてしまった。本当は見て見ぬふりをしたかった。だけど、それじゃあこの先幸せになれないし、幸せにできないと思った。

だから私はどんなに嫌な自分でも、とりあえず目は逸らさないでおこうと思う。全部をこうして晒せるわけじゃないだろうけど、ちゃんと自分で気付いて、見つめて、痛くても、恥ずかしくて死にそうになっても、まずは受け止めたい。

って、それっぽく書いた風ですが、とにかく人格磨こうと思います。


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