【選んで無職日記109】どんぐりが落ちているとトトロを思い出すよね
2024/11/3-6
両親と三人で東京に向かう。二泊三日の旅行だ。いぬはいつも通り父の友人に預けたが、その人の家に着いたとたん嬉しくて車を飛び出していったせいで母の頬に三本の赤い線がギッとついてしまった。
東京について滞在先のホテルに着く。初めて利用する老舗ホテルだったが、日本庭園が美しく建物内も歴史を感じる厳かさで、さらに結婚式が多いのかかなり賑わっていた。
お腹が空いたのでラウンジに着席すると、母のバレエ学校時代の友人がやってきて合流した。今日はバレエ仲間の公演を見に行くのだ。私と母はそちらへ、父は部屋でゆっくりするというので、遅めの昼食を取り、部屋で準備をして出かけた。
江戸川橋駅から錦糸町駅まで乗り換えで移動し、駅前で更に三名のバレエ学校仲間と合流する。三十年ぶりぐらいに会う友人もいたらしく、母たちがキャッキャと喜んでいるところを見て嬉しかった。
今日のこの日のことはまた別の形で文章に残そうと思うので、割愛。
公演が終了し、駅前で母たちと別れる。私は父と夕食を取るためにホテルに戻り、ホテルの洋食レストランでカレーを注文した(ちなみに昼はビーフストロガノフ)。
部屋に戻りお風呂に入ると日をまたぐ前に帰ってきた母が部屋に戻ってきていた。
次の日は朝食会場の席が空くのに時間がかかるとのことだったので庭園を歩いた。朝なので肌寒い気温ではあるものの、小川のせせらぎや水車が回る音、鯉のいる大きな池が風情たっぷりで、思わず写真を沢山撮ってしまう。
椿の木々で囲まれた道をもう少し奥に進むと、鉄板焼きや鰻の店が現れてきて、ここで夕食が食べられたらなあと思う。
階段を上がると小さな稲荷神社が現れ、お賽銭を持ってこなかったことを後悔した。鳥居を入ってすぐにいた狐の像二匹の足元に、沢山のどんぐりが置いてあった。庭園に入ってすぐに大きなどんぐりの木があって、沢山地面に落ちていたからそれかもしれない。手と手の間に沢山のどんぐりを貰った狐さんに、また来ますと言い残す。
更に上に登っていくと三重塔が現れ、中には観音様がいらした。こちらにもお賽銭がなくすみませんと言い残し、後来た道を戻る。
朝食を食べて支度をして、新宿の伊勢丹に赴く。東京メトロの新宿三丁目の駅から伊勢丹の地下一階に上がるエスカレーターを見て、胸がどきっとした。私はかつてこの建物で働いていたのだ。
今日は売れるだろうか、目標金額を売り切れるだろうかと心臓を痛めながら上がった道のりだ。いつまでも忘れることはないと思いながら一階に上がった。
母とウインドウショッピングをしながら階を下がっていく。かつて働いていた店に挨拶するのを迷っていたが、近づくと一緒に働いていたスタッフが店頭に居たので覚悟を決めて店に向かった。
久しぶりに会う皆は変わらなくて嬉しかった。私が諦めた業界を今でも守っていると思うと何だか感慨深かった。しかも今私は無職だ。たった数年で環境は大きく変わるものだなと思う。
その後銀座に移動し、予約していた中華料理店に家族で向かう。ここは気に入って何度も通っている店で、どれを食べても美味しい。歩き回った身体に冷えたジャスミンティーが染みた。
その後銀座でウィンドウショッピングをして、父は少し疲れたのでホテルに戻ると言うので母と意気揚々と明治神宮前駅に向かう。以前からこの辺を母と歩いて買い物したかったのだが、父が一緒だと銀座や新宿方面になりがちなのでなかなか機会がなかったのだ。
神宮前で地下鉄を降りてエスカレーターを上がると、前はこの駅にはエスカレーターがなかったのにと母が後ろでぼやいている。時を隔てても似たようなところで遊んでいたのだなと思うと、同じ血を感じる。
原宿はいつも通り人で溢れかえっており、安易に先に進めない。キャットストリートの方に向かおうと歩き始め、行きたかったスポーツウェアショップがもう混みまくりで入れず、ぐるっと迂回して表参道の通りに戻り、青山の方まで歩いていくつか店に入った(この時点で二万歩ほど歩いていて、私はとっくに疲れていた)。
空も暗くなってきたし帰ろうかといって短い母娘散歩は終了した。何も買わず収穫はなかったが、久々にこの辺りを母と歩けて嬉しかった。
部屋に戻りしばらくゴロゴロした後、ホテル近くのスペイン&イタリアン料理屋に予約を取って出かけた。連休最終日の夜なのに私たちで席は満席になり、人気店であることが伺える。ピザやパスタ、アヒージョを注文し、どれもニンニクがしっかりと効いていて美味しかった。
最終日、起きると父の体調が激悪だった。夜中起きて吐いていたという。なんとか起きて朝食会場には向かったものの、席に着く前に部屋にとんぼ返りし、食べれないので食べてきてとラインで言われ、仕方なく二人で和食を食べることになったがこれがかなり美味しかった。鮭の焼いたのや卵焼き、梅干しにお粥といった御膳スタイルで、味付けがとっても美味しかったので父には申し訳なく思いながらもモグモグ食べた。
チェックアウトギリギリまで部屋で皆でごろついたが、チェックアウト前一時間ほどで父が何とか持ち直してきて、銀座の以前行ったことがあるカフェに行こうと言うので、あ、元気になったんだなと安心する。
ホテルを離れる前にお賽銭を持って母と二人日本庭園に出て、稲荷神社と三重塔に挨拶をした。狐は相変わらずどんぐりを持っていた。
タクシーで銀座に移動し、カフェに向かう。前から行ってみたかったホテルの中にあるカフェで、行けてとてもよかった。
最近流行りの外資系ラグジュアリーな雰囲気で、テーブルもソファも広々としている。私の右斜め前にはMacbookを広げたおじさんが、ロングワンピースにDiorのバカデカブックトートにシルクを巻いた女性に投資アナライズみたいな話をしていて、しかも出てくる金額が90億とかそういう話なのでうわ~東京~と思う。一方私の左斜め前には絶対一般人じゃねえだろみたいなスタイリングをした男性が業界っぽい男性と話をしていた。なんか見たことある顔なんだけど、誰だったのだろう。
ここに泊まるのは難しいけれど、カフェ利用なら頑張って出来るな、と思いながら、カプチーノをすすりつつ、東京で生きていくっていうのは大変だな、とつくづく思う。
ホテルから空港に移動し、搭乗前に何故かパニック状態のような症状が出た。脳に酸素が回っていないような、息が出来ないような感覚になり深呼吸を頑張ってする。
ここ一、二年ほど、私は心因性頻尿といわれるような症状に悩まされている。バスや飛行機など、一定時間トイレに行けないとなると急な尿意に襲われ、トイレに駆け込んでも実際には全然出てこない、みたいな症状だ。しかも私はそもそも飛行機がとても苦手で、苦手なのに何度も乗るから身体かもしくは心が疲弊してしまったのかもしれない。
お腹を絞めつけられている感覚が気持ち悪くてストッキングを脱ぎにトイレに行き、今度はみぞおちを絞めつけられている感覚が辛くて下着を緩いものに変えた。それで少し気分は良くなったが、次は搭乗後の強まる尿意が辛い。
手汗をかきながら離陸の準備をし、離陸しちゃえば何ともないのに、毎回辛いから一度心療内科か泌尿器科に行くべきだな、と思う。
着いてすぐいぬを迎えに行くと、最初は嬉しくてバタバタしていたのにすぐに私の膝の上に横になってじっとしていた。家に帰ってもいつものように跳ねまわったりせず、ヒーターの前で横になったり、ソファで寝たりしていた。
次の日起きるといつものいぬの喜びお迎え(リビングは一階上にあるのだが、そこから階段を駆け下りて私を迎えに来て、一緒に上がってリビングで跳ね回る)があり、昼過ぎまでは父と三人でゆっくりした。
二時過ぎぐらいに三人で家を出て祖母を拾い、母のカフェに向かって皆でホットチョコレートを飲んだ。カウンターの椅子で横並びで座り、クロエも一席借りて一緒に座ったりして楽しかった。
ドリンクを飲み終え車にのり、JRの駅で降ろしてもらって家に帰る。駅で夫と落ちあい、二人で気に入っているハンバーグ屋に行ってハンバーグを食べた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?