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仕事を始めた頃

何もわからず宝石業界へ


ボクが仕事を初めたのは20歳で専門学校を卒業した年でした。
今の仕事がどう決まったかというと、知らない間に父親が決めていました。

親戚などがほぼ全員が商売人ばかりだったので、商売をするのかと漠然と思っていましたが、勝手に決められるのは好きではなかったので嫌でしたが、かといって他の仕事を探すという気持ちにもならずに就職?したのです。

家族が宝飾関係の仕事をしていたので、色々知ってるだろうと思われても全然知らなかったし、教えられた事もなかったので全ては前出の社長に全部教えてもらいました。
実は社長は東京の人である会社の大阪の支店の支店長を辞めて独立した時にボクを育てるという話を父親としていたそうです。

しかも、父親は昔会社勤めをしていた時にその社長の鞄持ちを2年ほどしていて旧知の仲でした。それでボクを奉公という形で独立した社長に預けたという訳です。

なぜ、その社長なのか?父親は仕事を辞めてから色々な人と絡んできたけど、その社長だけは商売に関して良い意味で凄くずる賢く絶対に損をしない仕事をしていたからだそうです。

業者回り

さて、仕事を始めてまず初めにしたのは、挨拶回りと名刺交換。どこでも誰でも学ぶ事。1日中これをやって足が棒になった事は忘れません。

商品の事も宝石の事も全然知らないし、仕事の仕組みも何も分からないので、とにかくそればっかりしていました。社長はボクにカバンを預けて一緒に回ってくれたのですした。

初めの1ヶ月程度で足は痛くならなくなり、少しづつ少しづつ宝石の勉強をし始めました。といっても大した事はなく、東京の業者が大阪出張に来るとうちに電話がかかってきて「商品を見てください。」って感じでうちの事務所に来てカバンから宝石をズラズラと並べていくので、ボクはひたすら見るだけ。

必要な事は社長が聞いてボクはそれを聞くだけ。値段も何もかも聞くだけ。

業者は全国からやってきた

卸業者は東京だけではなく、山梨県の甲府市からの業者がよく来ていました。山梨県は多くはありませんが、様々な天然石が取れる宝石のメッカでそこに職人さんが集まったりして地場産業みたいになっているのです。

おまけに甲府の業者はダイヤモンド、ルビー、サファイア以外の半貴石と呼ばれる宝石の商品が多く、物凄く安い。当然安いには安いなりの理由があったりしますが、それは今回は省きます。
反対に東京の業者は、築地市場のように全国各地や海外からの高級は宝石が多いし、職人さんの腕もよく、品質の良い商品が多かった印象がありますし、今もほとんど変わっていないと思います。

大阪はそういった甲府や東京の業者さんから石を仕入れたり枠を作ったりしていて、産業自体の規模は大きくなかったけど、西日本では一番物が集まるので西日本の小売店や百貨店へ商品を流したりする基地のようなものでした。

転売ヤーみたいな商売

話は戻って、そういった業者さんの商品を見て買ったり委託の為に借りたりする事にはちゃんと意味があり、それはその業者さん達の持っている商品と値段を覚える事。

うちは2人程度の小さな会社でしたが、1人で小さく卸業をしたりする人も多く、その人達は商品を買うような資金力はないので色々な業者さんから商品を借りるのだ。

小売屋さんに直接出入りしている人もいるので、そういった人が小売屋さんの御用聞きをしていて、うちのような会社に問い合わせてくれました。

その時に東京や甲府の業者の商品を覚えておいて、もし問い合わせられた商品があれば東京や甲府の業者に連絡し、商品を借りて小さな業者に又貸しする訳。今で言うところの転売ヤーに近いかも知れません。

これがボク達極小企業の生きる道でした。

商品を段々と覚えていってカバンへ

とまぁ、これは仕入れに関する事で売りに行く時もある。前出の展示会へ行く業者さんや展示会、そして、地方の小売屋さんに出張販売へ行く業者さんに売りに行くのですが、うちも資金力がないので、東京や甲府、その他の業者さんから商品を借りて売りに行くのだ。

その為には、価格表を変える必要があり、借りた商品の全ての宝石、カラット数などをルーペで見たりして商品の良い所、悪い所を見ていくのです。これがボクの勉強になりました。
1日中商品を見て利益を乗せた価格の札を作り1点1点見ると、段々と商品の良い悪いが分かってくるので、業者に対する説明も、仕入れる時の値引きさせる為の知識も身につく。

そういった事をずっとやって、他の業者さんの商品を自社の商品に見えるようにして、カバンに入れて売り込みに行く。そのカバンをボクが何個も抱えて歩くのだ(^^)

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