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母がいた-12

今日、しばらく手を付けられていなかった仕事がほんのり進んだ。諸般の事情で現在フルタイムでの勤務が難しい僕は、個人受注でデザインやイラストの仕事をやっている。似顔絵を描いたり、フライヤーを作ったり、なんかまあそういう仕事だ。そして最初に書いた通り、なかなか触れていなかった仕事を進めることができた。お待たせしているクライアントさんには大変申し訳ない限りだが、ぶっちゃけ今日の僕はもう満点なのだ。じゅうぶん。えらい。

仕事に一区切りつくと、僕はタバコが吸いたくなる。それに甘いものとコーヒーだ。ホラー映画でも観ながら、レモンケーキを一口食べて、コーヒーを飲む。そしてタバコをの煙を吹き出せば、世はこともなし。至福の時。

この習慣はやっぱりというかもちろんというか、もともとは母のものだった。山積みの書類を片付け、顧客への丁寧な電話を済ませた母は、和菓子と緑茶、そしてタバコで一服していた。その顔は本当に幸せそうで、母を見た僕は子どもながらに「大人の仕事終わりはそんなに楽しいのか」と思っていた。

僕が社会人として働き始め、なかなかにブラックな企業に勤めていたころ。その会社は終業が12時を回ることも珍しくなく、そんな生活に慣れて数年が経った時のことだった。その日は部署内全体が忙しく、そういえばいつもより残業している社員が多い。当時僕はまだその部署で一番の下っ端(下っ端って言い方好きじゃないんですよね)だったので、先輩社員が全員帰るまで自分の作業や雑務を片付けて掃除と翌日の準備をしていた(先輩帰るまで残れみたいなあの誰も得しないクソ文化まだあるの?さすがにないよね?)。

特にやる仕事もなく、家庭に居場所がないことを理由にだらだらと職場で暇をつぶしていた先輩(本当に言い方が悪いんだけど実際そうだったから仕方ない)がさすがに帰るかと席を立ち、お互い挨拶を済ませて会社を出たのは深夜の3時。電車もなければ店も開いてない。疲れ切っていた僕は終電を逃した時用に置いていた自転車にまたがり、家へ向かった。

眠気と闘いながら歓楽街を通り抜けていた時、僕の鼻腔を甘い香りがかすめた。これは生クリームの匂いだ。え、こんな時間に?と周囲を見渡すと、派手なドレスを着たお姉さんや腕と首にお絵描きをしたお兄さんたちが行きかう道の中ほどにケーキ屋さんがあった。そうか歓楽街だから夜中でもケーキを買う人がいるのか。

ついさっきまで早く帰って眠ることしか考えていなかった僕の頭の中が、どんどん生クリームに占領されていく。たべたい。甘くて冷たい生クリームのケーキを、ガツガツほおばりたい。

気付くと僕はケーキの箱を抱えていた。中にはイチゴのショートケーキとモンブラン、フルーツタルトの計3つが入っていた。帰ろう。今すぐ帰ってこれらを味わい今日の自分を褒めてやろう。そう思った僕は、ケーキをつぶさないよう注意しながら可能な限り早く自転車をこいだ。

家に着き、荷物をその辺に放り出し、服を脱いで、パンツ1枚で台所に立つ。大きな平皿にケーキをのせて、机に運び、椅子に座ってさあ食べようと思ったときに突然「コーヒーが欲しい」と思った。せっかくのご褒美だ、食べたいものを食べて飲みたいものを飲もう。僕は台所に戻って、コーヒー豆を取り出した。お湯を沸かしている間に豆を挽き、焦らずゆっくりドリップする。良い香りがしてきた。それまで気を張っていたのか、グッと縮んでいた体の力が抜ける。ふう、と一息ついて、コーヒーをマグカップに注いで、机に戻った。

3つも買ったケーキのうち、まずはショートケーキから食べることにした。軽くもってりとした生クリームとスポンジをフォークでそっとかき分けて口に運ぶ。ミルクのコクと生クリームの軽やかな甘みが舌に広がって、イチゴのじゅわっとした果汁と酸味で口の中が引き締まる。

おいしい。

仕事に追われ、何かを味わって食べるということを忘れていた僕は、ひさしぶりに、おいしいと心から思った。コーヒーを一口飲む。ケーキの甘さとは対照的な苦みとコクが広がるが、その温かさはさらに体の緊張をほぐしてくれる。鼻から抜ける奥深い香りも、心を和らげてくれる。

ケーキ、コーヒー、ケーキ、コーヒー。どちらもしっかり味わいながら、夢中で食べていると、いつのまにか僕は泣いていた。なんで泣いてんの?悲しいことなんてなかったし、ケーキを食べながら幸せだなーと思っていたはずなんだけど。

どうして涙が出るのかわからないまま、泣きながら食べたケーキもコーヒーもいつのまにかなくなっていた。僕はベランダに出て、タバコに火をつける。

タバコを吸っているうちに、母のことを思い出した。そういえば仕事が終わった母は、こうして甘いものを食べてタバコを吸ってたな。そのあと毎回何か言ってなかったっけ。そうだ、点数をつけていた。80点とか、40点とか。

そして僕は気付く。あの時はケーキの味に点数をつけているんだろうと思っていたけれど、違うのか。あれはケーキの味なんかじゃなくて、自分の心に点数をつけていたんだ。今の自分がどのくらい元気なのか、それを確かめる時間だったのか。

突然理解した僕は、今はもういない母にならって、自分の心に点数をつけてみようと思った。思ったが、そう考えた時にはもう口に出ていた。

「0点。仕事やめよ。」

僕は次の日退職願を出した。幸い次の働き口はすぐにみつかったので、とんとんと話は進み、僕の退職はあっさり済んだ。最終出社日、お世話になった先輩方へ挨拶を済ませ、会社を出る。まだ日が高い。ケーキ屋さんだって開いている。僕はケーキを買って、人がまばらな電車に乗って帰った。

家に着いて、あの日と同じようにコーヒーを淹れて、ケーキを食べ、ベランダでタバコを吸う。考えるまでもない。100点だった。

こんな風に、あとから母の言っていた言葉の意味が分かることが多い。社会人になって数年、おそらくあの時気付かなければ何かが折れていただろう僕を救ってくれたのは、子供のころに見た、ケーキを食べる母だった。恐るべし母カウンセリング。これからもきっとそんな事が起こるのだろう。

今は幸いクライアントさんにも恵まれ、時間とゆとりをもらいながら仕事ができている僕は、一区切りついた仕事の連絡をして、タバコを吸いながら、そんなことを考えていた。また採点してみよう。今度は何点だろうか。

自分の心を大切にして
知らぬ間にその方法を残して
誰かを救っていた
そんな、母がいた。

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