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6時間の視覚的加算

胃は、咀嚼した食べ物を溜め込み、消化液と攪拌運動により食べ物をおかゆのような状態にして、下層の十二指腸へと少しずつ送り出していくそう。

消化器官と比べるのは医学分野の方々からすればいかがなものかと思われるかもしれないけれど、もしも目の働きが胃のように条件反射的に活動するとしたら…
つまり、視覚を得られるのが、例えば一定以上の明度になった時だけ、とか。歩行だとか何かしらの動作をしている時にだけ、とか。いっそ人それぞれ胃下垂だったり形や位置が違うように、目の配置もきちんと前に2つじゃなく、ほくろみたいにランダムだったら?

もしもそうだったら、私たちの暮らしがどうなるかはさておき、写真はどのように写るんだろうか。

腕も脚も口も耳も眼も心臓もおっぱいも鼻の穴も
ニつずつつけてあげるからね
いいでしょう?

RADWIMPS「オーダーメイド」より抜粋

不意に高校生の頃によく聴いたRADWIMPSの「オーダーメイド」を思い出した。

この2月2日に試みたのは、「6時間のスナップ撮影の前半3時間で使用したフィルムを再度巻き出し、後半3時間でもう一度使用する」という実験。要は、恣意性を伴ったタイムラグ多重露光だ。

そもそも多重露光は一度露光したフィルムに誤ってもう一度露光してしまった間違った写真として捉えられていたのだけれども、今やデジタルカメラの上位機種であればデフォルトの機能として存在、れっきとした写真表現方法の一つと見なされている。
そうした、多重露光がポジションを完全に押さえた時代の最中、2023年2月2日に、私はそれを試みた。

そもそもがランダムで感覚先行のスナップ撮影では、視野の中に映る何か一つの見逃せないモノを捉えようとしている。私の場合、別に『その瞬間を…!』って感じじゃない。
人の思いもよらないアクションやアクシデントなんかはさておき、欲しいのはそこにあり続けていて起こり続けている現象。現象である以上は、目を見開いていさえすれば「その瞬間」でなくとも後でだって捉えられる。そこにじっとりと、とどまっているんだから。

もちろん今回の実験もいつものようにそうやって撮って回ったから、これはある種スナップ撮影した街の「好きなスポットのコレクション」だとも言える。ただ、それが多重露光で行われているからこそ、五感を以って私の思う見逃せない現象を捉え集めたものだからこそ、結果タイトルにあるような視覚的加算の経緯となっている。
この実験で視覚を獲得できる条件は、見逃せないと感じた現象を眼前にした時だけだった。そして視覚の入り口であるこの目が、ちゃんと前を向いて顔に二つ張り出ていることを確認するようにして、確固たる執念を以って捉えた現象を一度目、二度目、とじっくり多重露光を介して加算していた。

どうしてファインダーを覗く時には片目を閉じているのかが、分かった気がした。

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