三男の折り紙好きの話と、折り図を見て自分の生きづらさに気がついた話
折り紙がきっかけで、自分のこれまでの人生について、生きづらさについて、思わぬ気づきがあったので、書いておこうと思う。
そもそも私は特に好きだった訳でも得意だったわけでもないが、三男は、折り紙が大好きだ。
それで、難しいところを一緒に考えたり、付き合っているうちに、私も少しずつ難しいものにも挑戦するようになってきた。
三男 折り紙が大好きになる
何がきっかけかは分からないけれど…
初めは3歳の終わりごろだったと思う。
三男は折り紙とハサミを手にして、とにかくひたすら、ひたすら、来る日も来る日も、無心で切り刻んでいた。
切っては形を眺め、その形を修正して、並べる。切った後の形が面白く、夢中でやっていた。
そのうち、三男はYouTube動画を観て、仮面ライダーだとかの難しい折り紙を折ってほしいと言い出して、私は10分程度の動画を何度も一時停止したり戻したりしながら、1時間とか2時間とか、けっこうな時間をかけて仕上げてあげたことがある。
ママに作ってもらったものを受け取って、満足する、という時期だった。
三男、折り紙にどハマりする
その頃、滝藤賢一さんの、オリガミの魔女と博士の四角い時間という番組にハマり、蛇腹折のイモリだか、トカゲだかの難しいものも折った。
三男はどんどん折り紙にハマっていき、長男の幼児の頃から使っているボロボロの折り紙の本を見て、色々なものに挑戦するようになっていった。
ちょうど恐竜が好きになり始めた頃で、恐竜を折ってはこども園に持っていく毎日だった。
初めの頃は難しくて、ほとんど私が折っていた。
セミ、かぶとむし、くわがたむし、みみずく、足の長いツル、キリン、ゾウ、トラ、プテラノドン、ステゴサウルス、ブラキオサウルス、ティラノサウルス、トリケラトプス…。
同じものを、何度も何度も繰り返し折っているうちに、三男も、だんだん出来るようになってきた。
この本の中の難しいものを折れるようになると、他のものにも挑戦してみたくなり、本屋さんで色々探して、もう一冊折り紙の本を手に入れた。
けれど、三男は新しい本を使うことはほとんどなく、もともとのお気に入りの本ばかり使っていた。
私の頭で理解出来る折り図と出来ない折り図があることに気づく
折り紙作者さんによって、折り図の表現の仕方が違っていたりして、私の頭で理解出来ないものと、ギリギリ理解出来るものとがある事に、この時気がついた。
そして、例えば折り図の番号が23番までしかなくて簡単そうに見えるものの中には、とんでもなく時間のかかるものがあるということにも気がついた。
12番辺りで、7番から11番までを4回くり返すとかいうのを、何度も挟んでくるものがあったのだ。
何度やっても訳が分からないものにも出会った。けれど、他のものを折ったり、時間がたってからもう一度やってみると理解出来ることもあった。
親子で3年ほど、ずっと折り紙に触れ続けた。
そうして三男は呼吸をするように折り紙をする子になった。
お気に入りの本
現在7歳になった三男。
男の子のおりがみ、では物足りなくなって、今度こそ違う本が欲しくなった。
ポケモン折り紙や、箸袋で折るものなど、いくつか購入してきたが
今一番楽しいのがこのシリーズ。
誕生日に買ってもらってから約1ヵ月。全ての生き物を折り終えた。
クラゲが1番最後のページに載っていて、難易度MAXだが、何度も折っているうちに覚えてしまって、もう一人で折り上げられる。
見出し画像の赤い物体が、このクラゲ。
大きなカレンダーを正方形に切って作った。脚が12本ある。細部まで丁寧に作り込んではいないので、仕上がりは雑ながら、けっこう難しいので我が子ながらすごいなと思う。
次に狙っているのがこちら。
これだけ毎日使うなら、買ってもいいか、と購入のタイミングを迷っているところ。
2021年の夏から秋にかけてどハマりしていたのはクラフトブック。
このシリーズの恐竜、昆虫、鳥、両生類・爬虫類、の類いはほぼ作り終えた。
折り図を見ていて、これまでの生きづらさの理由に気づく
自分の特性に改めて気がついたこと
私は折り図をうまく読み取れない。
それはもともと自覚していた。
しかし、それ以上でも以下でもないと思っていた。
だが昨日、ごく簡単な折り図を見ながら薔薇だとかスミレだとかを折っていて、ふと気づいたことがあった。
折り紙の上下左右、裏表、谷折り山折りを、曖昧なまま今までずっとやっていたのだ。
今さら気づくの、遅すぎ…。
折りやすい向きがあるため、向きを変えているうちに正しい向きが分からなくなったり、間違えたまま進めてしまい、訳が分からなくなるパターンが多かったのは、全てを曖昧に進めていたからなのだ。
そこに初めて気がついて、かなり驚いた。
そもそも私の思考回路では、折り図の理解は難しいのだが、よく考えてみると、私の目を通したときに折り図記号だとか、裏表を示す色だとかは透明になってしまっていたのだ。
一体私は何を見て折っていたのか、今となっては謎だ。
これまでの人生がなぜこんなに大変だったのか
そうして私はまた気づいた。
自分がどうしてこんなに生きづらいのか。
他の人が易々とこなしているさまざまなことを、わたしがやるとどうしてこんなに大変な事になるのか。
いつも必死で、ものすごい労力をかけているわりに、成果が全然ないのはどうしてなのか。
私は、みんなと同じような感じに何とか取り繕うために、水面下で物凄い勢いでもがいて生きてきた。
みんなに見えているものが、私には見えない。
みんなが出来ることを私がやるには、何倍もの努力がいる。
そういうことだ。
ある程度分かってはいたが、折り紙の折り図を見て、改めて突きつけられて、私は驚いたのだ。
ここまで、この自分で、よく頑張ってきたよね、と、呆れるような、労わるような思いがじわじわと湧いてきた。
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