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コロナウイルスと助け合い精神

 今日はコロナウイルスについて、記事をいくつかアップしていきます。

 コロナの感染拡大が始まった時、私は南米のコロンビアにいました。コロンビアでは国内での感染が確認されてからの対応はかなり早く、国境が封鎖され、外出禁止令が発動されました。その時に私が感じたのは、毎日バスや道でお菓子を売ったり、靴を磨いたり、芸を披露したりして生活しているあの人達はどうなってしまうんだろう...。
 
 こういった、弱者が得に深刻な被害を受けるという状況は、コロンビアに限ったことではありません。リモートワークができない低賃金労働者や、金銭的に公共交通機関しか使えない人、一人暮らしが続かずリスクの中で帰省するしかない学生。挙げればきりがないですが、日本を含む世界中で、弱者が深刻な状況に追いやられています。

 でも、コロンビアと日本を見た時に私が感じたのは、日本のコミュニティの脆弱さです。コロンビアでは、日本よりもコミュニティ内での助け合いの精神が発達していると思います。稼ぎがなくなって食料も得られない人、インターネットがなくて授業が受けられない人が身近にいたら、助けるのが当然です。たとえ自分が裕福ではなくても、どうにかして助ける方法を考え実行します。

 例えば私のホストシスターは、階層の高い学生たちが通う大学生のグループに呼びかけて寄付を集め、仕事の無い人に食費や家賃の支援を行いました。これは、残念なことではありますが、日本では少しあり得ないなと思ってしまいます。助けるか助けないか以前に、日本社会では人の家庭の問題に頭を突っ込むなんて失礼じゃないかという意識さえ存在しています。

震災のように全員が大変な状況の場合は別でしょうが、一部の弱者しか深刻な影響を受けない場合は、助けるどころか、その存在に気が付かない人も多いのではないでしょうか。身の回りではそれを意識せずに生活している人が多いと感じますが、日本は完全な階級分断社会だから気が付けないのです。

日本は経済的に発展したことで、社会関係資本を失い、コミュニティで助け合うようなことはなくなってしまいましたが、コロンビアのメデジンでは、かなり画期的な取り組みが行われているようです。窓に赤いタオルやシャツを掲げることで「食料が足りない」という地域共通のサインを出しあい、それを見た人が届け物をするといった、弱者が取り残されないためのコミュニティをあげた取り組みが行われています。

社会関係資本を失った日本では、なんでも問題があると政府のせいになってしまいます。「マスク2枚なんていらない」と批判する間に、私たちにもできることはあるはずです。もちろん政治を批判的に見ることが悪いと言っているわけではありません。古市憲寿の『だから日本はズレている』という著書に、「もしも今、何かどうしても解決したい問題があるなら、自分ができる範囲で動き出せばいい。『危機の時代』だからこそ解決策はそれくらいしかない。」という言葉があります。

 私は、コロナで学校が閉校になり親戚の子どもが精神的に大きな影響を受けているのを感じ、zoomで週一回のオンライン子ども会を開催しました。親戚の子どものための小さな小さな取り組みです。でも、何もせずに批判だけするよりは、みんなが小さいことをやるようになれば、それが集まって大きな変化が生まれると思っています。

 こんな時に一番大切なのは、小さなコミュニティごとの助け合いかもしれません。

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