見出し画像

「人それぞれ」思考の危うさを考える

「人それぞれ」=相手を尊重している、というイメージを持っている方へお勧めしたい本です。(私もその一人です。)

人それぞれがさみしい「やさしく・冷たい」人間関係を考える
著者:石田光規

約10年前に看護師から離れ、個人で活動を始めた時に名付けた屋号が「honoiro(歩の色)」だったのですが、この言葉には「人それぞれの人生を尊重したい、多様な意見を認め合いたい」という気持ちがありました。

でも、多様な意見と言いながら、私は相手の意見や意図を理解しようとする意識に欠けていました

相手の気持ちを理解していないのに、相手の意見を認める、ということはよく考えると成立しないですよね^^;

つまり「人それぞれ」の背景には「自分の意見も肯定してね!」という前提が含まれてました。というより、むしろこっちが事実。「人それぞれなんだから、私の意見も尊重されるべきだよね。」

これがこの言葉を発する自分の心の本質でした。


その結果どうなるのかが、本にも書かれていますが、私の解釈は以下です。

①相手に関心を持たないようにして、一定の距離を保ち、内面に立ち入らないようにする。一見、穏やかな関係に見えるけど、心は寂しさや物足りなさを感じていく。

②自分を肯定してもらえる環境を求め、肯定されない人や集団に対しては、なぜ肯定されないか知ろうとすることなく、過剰に排除や分断の意識が生まれる。

まさに私がこうなりました。特に主人に対して。「人それぞれなのに、どうして私の主張を肯定してくれないのー!」と。

主人からは「ここまで(私を)理解しようと努力し、その結果、肯定できないことには意見を言うことが必要だと思っている」と。

……

病院で働き出しても同様の現実に直面しています。

一定の距離を置き、接してくれるスタッフの方に居心地の良さを感じている自分がいるのも事実です。でもどこかで寂しさを感じるのですよね。

いつも指摘をしてくれる熱い先輩もいて、時にその指摘に恐れを感じている自分もいます。でもその先輩の指摘がなければ、私は自分の仕事での問題点を気がつかず過ごしていたと思います。


この一部分だけで何かをジャッジすることではありませんが、相手に深く介入しないことが、相手を尊重していると思っていることの危うさはあると思います。

深く関わり合えば、そこで新たに葛藤も生まれますが、そこから相手を知る、自分を知る、ということに繋がっていくのだと思います。

……

主人がコーネリアスの小山田圭吾さんの問題を深く真剣に取り上げていたのも、このキャンセルカルチャーの問題点、相手を理解するということの重要性を思ってのことでした。(画像をクリックいただくとブログをご覧いただけます。)

でも、私がその主人の想いを理解できなかったのは、まさに「人それぞれ論=相手を尊重している」という思い込みに支配されていたからです。


話を本に戻します。

▶︎人それぞれがさみしい「やさしく・冷たい」人間関係を考える

この石田さんの本の表紙や帯にある言葉がどれも心にグッときます。タイトルも的確な言葉だと思います。そう、結局、人と関わらないと寂しいのです。

■他人と深い関係を築けなくなった理由
■本音で意見を交わすことも、ぶつかり合うことも、とても難しい
■受け容れつつ突き放す人間関係

人と深く関わることに恐れも感じるのも正直なところです。でもその結果が摂食障害や男性依存でした。

人と真剣に向き合うと自分に向き合うことになる。だからこそ自分の中に後ろめたさがあると、そこに恐怖心が生まれるのだと思います。

そんな自分の恐怖心を隠すために「人それぞれ」という言い訳は終わりにします。

こちらのブログでも「人それぞれ」について語っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?