100分の100であるということ。
雨ごとに冷え込みが増し、日に日に霧が厚くなっていきます。暗闇の中、冬野菜の収穫に打ち込むさなか、煌々とした朝焼けが劇場の煙幕が開くように重たいモヤを押し上げてくれます。いよいよ一日の始まりの躍動を感じさせる、巡りゆく四季の中でも、一日の中のありがたい瞬間です。
とりたての瑞々しい大根やニンジンにガリっとかじりつきながら、畑を見回り、甘味と苦みのコントラスが体に目覚めを与えてくれます。この大地の恵みで英気を養い、そしてそれが毎日の仕事の元気の源になっているような気がします。
最近、レストランのシェフや消費者の来訪が増えてきました。
店名だけで、勝手に想像し、電話先の対応を聞いてはどんな人たちなんだろうと思いながら、野菜つくりをしています。先週はYPubという名前のレストランの方が来られました。
勝手にパフパフなんて言葉が飛躍したイメージを持っていましたが、彼らの野菜や圃場を見る目には鋭さと愛おしさを感じました。私たちが送る月一回の野菜をいかに仕立て、素材の味を生かしながら、お客さんに喜んでもらうのか。若い方々でしたが、職人魂を感じる思いを受け取ることができました。
お客さんの顔を思い浮かべることができても、100個の段ボールが並ぶと、ついつい多くのお客さんのうちの一人として、作業と捉えて出荷してしまいます。100分の1としての贈りものではなく、100分の100の商品として提供していくことの心意気を忘れていたなと改めて大切なことに気づかされました。
土の上で1粒の種から命の根源となる食べ物をつくるという『0から10』、『10から100にする』尊い行為を『100分の1に下げる業務、労働』にしてはならないなと思いました。
そんな中、スタッフは出荷段ボールに一つずつ、「ありがとうございます。」とさりげない言葉をかいてくれました。また、野菜の絵を描いた手紙を入れてくれたり・・・。
わずか1分、10秒のことだけれども、その一つ一つに真剣に向き合う時間を持つことは、豊かな関係の広まりと作物が根を張るような深まりを感じさせてくれました。
山口敦史