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やさしさ考





おはようございます、けさも早起きです、そしてひさしぶりにライブでこれを打っています。BGMはアレサ・フランクリンの「明日に架ける橋」さて、タイトルですが、特にこれといっておもったことではござんせん。ただ、やさしさって、最近おもうんです、なんだろうなって。それはひととひととの間の、感応道交というか、おたがいのエネルギーの強さによるのではなかろうかとも、思って。





生き物として強い、エネルギーのある人の優しさは、いつもただしい訳でもなく、それは逆に弱ったひとにとっては劇薬だったりもします。エネルギーの低いときには、ひとはなかなか優しさを発揮できなかったり、その矛先が自分ばかりに向いてしまって、他人の気持ちや動きがみえていなかったりね、ある訳です。だから、たとえば「明日に架ける橋」だと、サイモンとガーファンクル的なやさしさもあれば、アレサのような優しさもある。どっちも素晴らしいけれど、わたしの通常のエネルギーだと、サイモンとガーファンクルバージョンがやはり好みかな。アレサの優しさはちょっと、スケールが大きい。





エネルギーと、それを受け容れる人間の器、それがお互いに釣り合ったときに、こう、妙なる優しさというものが発揮されるのではないでしょうか。そして、エネルギーの安定というのは、まあ、ユング的にいえばそのひとの「男性性」と「女性性」との兼ね合いから成るという風にいえそうだというのが私の考えているところです。このあたりのことをユングは最後に、大団円ともいえる『結合の神秘』で顕しましたね。なんというか、とんでもない巨人だったなとおもう訳です。



さて、今日の一冊

電子書籍で、かってみよう。



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