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宿業論

おはようございます、今朝も早起きです。健康診断のバリウムのあれですが、なかなか出てこず。ねむい。さて、きょうは仏教のはなし、といっても、最近のもろもろを顧みての、己が感慨というものだとおもいます。さて、仏教には「宿業(しゅくごう)」という考え方がございます。これは前世とか今世とか、ともかく、身口意の業、とくに悪業ですね、それがこう、つのってきて、その報いを受けるという考えです。

で、私自身を振り返ると、実に宿業というか、ああ、あの時点での悪事というか、悪き行いの報いを今にして受けている、というようなことが、見えてきますね。そうなるとどうなるのか、すごく、すごく納得がいきます。そして、わたしだけじゃなし、周囲の人間にもそうした「宿業」というものがあるのですね。そして、その宿業というか、悪業に対してするものが「懺悔(さんげ)」というものです。ああ、あの時は悪かった、申し訳なかったと気づくことです。

そして、改めて、恨みに恨みを、憎しみに憎しみを、嗤いに嗤いをといったような返しをするのをやめて、慈しみのこころを持つというか、そういうことがまあ、仏教の根幹にはあるなあと。そして、やはり、宿業という考え方は、実に、身にしみて、今の自分には思えたのです。即ち、苦しみて、苦しみながらも実は楽を得ている生き方というか。すなわち、宿業に気づく、気づかされながら生きて行く生き方というか。

さて、今日の一冊は

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