いろんな イクスキューズ

※画像は lindsey 様より拝借致しました。ありがとうございます。



さて、きょうは有休。ツイッターもバンなるものを受けたので、しばらくやらないことにしたら、自分の時間があいて、なるほどこれはラクだとおもった次第。思えば友人とはLINEででもメールでもつながりはあるのだし。




たとえば、人の好悪というものについて考える。わたしが人を嫌う、とき、或いは憎みまでするとき、それは嫌いな点、憎む点をあげつらうだろう。そしてそのとき、相手も又わたしについて同じようなことをしているだろう。ならば、なぜ自分がただしくて、相手が間違っているなどと、裁けるのだろうか。




それは人生のイクスキューズなんだよなあって、しみじみと思う。そうしたとき、我々は人生の、生のながれにしっかりと、棹さしている。生のながれはそこで、よどんでしまっている。私が普段、人間の好悪を言わないというのをルールにしているのも、そういう次第だから。




一旦、イクスキューズにはまると、どんどんとイクスキューズは増えていく。うそ、というのもそうで、小さな嘘くらいでは人はそんなに酷い目には遭わぬ。でも、うそが溜まってきて、イクスキューズがたまると、人生の流れには棹さしてしまうゆえ、いろんなことが「上手く行かなくなる」それが本当のところだと思う。




一旦かんがえてみてほしい、あなたのなかの強い感情や、人や、ときに己をも裁こうとしてしまうとき、それはよりよく、生の流れのままにいきようとする、それに棹さすためのイクスキューズなのではないかと。



ってことで、たまに漱石

これが200円で買えるってのはすごいなあ。

そして、もう一冊

じっくりいこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?