北限の猿 -- What kind of ape am I?

数日前、noteでこっそり人の日記を読んで、どうも面白そうな劇が行われているらしいことを知った。青年団の「北限の猿」という舞台である。

最近、観劇していなかったところに、思わぬ出会いというか、せっかくその日記を読んだのも何かのご縁と思って、さっそく仕事帰りに見に行くことにした。

あらすじは以下の通り。青年団のHPより拝借。

(1992年初演)*科学シリーズ第2作
日本の某国立大学の生物学実験室。
遺伝子操作の技術が急速に進む中、猿を人間へと進化させる「ネアンデルタール作戦」はより進展し、作戦をいよいよ実行へと移そうと全国から猿の専門家たちが続々とこの研究室にやってくる。遺伝や進化などの最先端技術の話題から、自分たちの恋愛や結婚といった日常にまで飛び交う雑談。日本が世界に誇る「猿学」から、独自の人間論、日本人論が展開していく。

猿と人について、私も昔から興味がある。

マシンガンのように出てくる類人猿の生態とオーバーラップするような研究所内の人間同士の関係のストーリーに引き込まれるうちに、だんだん研究対象の猿と研究所の人間の境界が薄くなる。猿から学んでいる感じだ。

「乱交型なら子殺しをする必要がない」
私たち人類は乱交型のボノボにとても近いが、現代の多くの人は一夫一妻制について特に疑うことがない。本当に一夫一妻制のみが家族の形なのか。

色々な形の愛情を拒む理由は何か。セクシャリティに関する恥はどこから生まれたのか。

そして、私について考える。どうして私は特定の人間に抱きしめられたいのか。これはただの理性なのか。本能に逆らい苦しむことで愛情を深めていると勘違いしているのか。では、私の本能は何を求めているのか。美味しいもの食べたいという欲求も失せて、基本的な食欲すらも失いかけた私では本能と衝動と欲求に出会うことができないのか。


肉体的にも精神的にも近づいたあなたと私を分離する力は何か。愛情と責任は共にあるべきか。


この尽きない概念的な疑問が私を人間たらしめているのか。それとも、ボノボたちも尽きない悩みに日々襲われているのか。


劇の終盤、最初に木を降りて住み慣れたジャングルから平原への一歩を踏み出したアフリカの人類の始祖となるメスの類人猿の気持ちになって、研究室を見渡しながら両手をあげて女性が唸るシーンがある。

なんだか私はそのシーンでいたく感動してしまった。

イヴの頃から、物事はとても複雑になって疑問だらけになってしまったに違いない。猿たちが到達しなかったところまで、人類は遍く大地に広がった。

とてもかけ離れた存在に思えるそのイヴのDNAを私は受け継いでいる。不思議な気持ちだ。だから、イヴを想像して狭い部屋で唸ってみる。

ジャングルを離れた時、イヴの脳は未知への恐れと好奇心でいっぱいだったに違いない。

私の脳も、今のところ生存には全く不要そうにみえる(だけかもしれないけど)苦悩と恐れでいっぱいいっぱいだ。それでも、イヴと同じように一歩を踏み出すために、そっと部屋で両手を上げて唸るのだ。

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おまけですが、普段自分が思っている「常識」が人類20万年の歴史の中でいかに最近のものであるかを考えるのはとても良い温故知新だと思います。

あとは、Nexflixの「世界の今をダイジェスト」の「一夫一婦」編。

最後まで読んでくれてありがとう。