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部屋の記憶(フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと)

2020年から2021年にかけて「フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと(What Remains of Edith Finch)」というゲームをプレイしていた。
Steamのリンクだけど、私が遊んだのはSwitch移植版。

比較的シンプル(だけど没入感のためにすごく考えられている感じ)なゲームで、主人公の視点で屋敷の中を歩きながら、屋敷の各場所で主人公がフィンチ家に伝わる話を語り、それを手帳にまとめていく。
特定のポイントで止まって、そこに表示される文字を読む必要がないので、ゲームというよりは映画のような没入感がある。

ゲームの内容としては以下のような感じで、

『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』(原題:What Remains of Edith Finch)は、ワシントン州のとある一族に関する奇妙な物語集です。
プレイヤーは一族の血を引くエディスとして、フィンチ家の風変わりな屋敷を舞台に家族の軌跡をたどりながら、なぜ彼女が最後一人の生存者なのか謎を解こうとします。遠い昔から現在に至る追憶…それぞれのストーリーを見つけるたび、その家族の命が尽きた日の人生を体験していきます。
ゲームプレイもストーリーの調子も、フィンチ家一族のメンバーと同様にさまざま。共通しているのは、各人物の体験が一人称視点でプレイされることと、それぞれの物語が死で終わる点だけです。
(Steamの説明文から)

私は年末年始は他人の死に没入していた。

このゲームの設定で面白いな、と思ったのは、「死んだ人間の部屋が封印され、当時のままの状態を残している」というところ。死んだ家族の個室のドアは糊で閉じられ、中を伺うための覗き窓が付けられている。

現実世界でも子ども部屋というのは、その子が家を出ていった時から時が止まっていることが多いだろう。時が止まったその部屋に、他の誰かがやってきて部屋の持ち主がどんな子ども時代を過ごしていたのかを知る。タイムカプセルのように部屋が記憶を留めている。

映画でも時折見るシーンだ。付き合っている恋人の田舎にある実家を訪れて相手の子ども部屋を見たり(この状況はホラーなシチュエーションしか思いつかないけれど。秘められたサイコな一面を知ってしまう、とか)、夢破れて実家の自分の部屋に戻ってきて、時が止まっている部屋のベッドに座って自分があの頃から随分遠くに行ってしまったことに気がついたり。

このゲームに話を戻すと、その部屋を糊付けして実際に封印してしまう描写が「もうこの部屋の持ち主は戻って来ない。この部屋はその最期の日から永遠に時が止まったままなのだ」ということが強調されているようで物悲しい。
故人の部屋は妙に胸にくるものがある。「時が止まっている」という状態は生者にとってはあり得ないことで……。嫌でももうこの世にはいないのだと実感してしまう。

ちなみに、残念ながら私の子供部屋は引越しなどで既にもうない。残念だ。私が残せるのは今暮らしている部屋だけだ。

もう一つ面白かったところ。主人公の兄、ルイスのストーリーとその時の操作だ。

ルイスはずっと部屋に引きこもっていたのだが、ある日、サバ缶工場で働き始め、サバ缶工場で単純作業してるうちに頭の中ではどんどん妄想が広がって……っていうストーリーで、その時のゲームの操作として、右手はサバの首を落とす単調作業を進めつつ、左手は妄想の中を歩くのだが、最初慣れなかった右手の操作もだんだん何にも考えずに動くようになって、プレイヤーである私も本当にサバ缶工場で単調な作業をしながら妄想してる気持ちになった。

これはよく考えられた面白い操作だな!と感心してしまった。

他にも家族それぞれの趣味を反映した細かい部屋の作りだったり(見ていて飽きない)、ストーリーのテイストが全然違ったり、追体験することで一種救いを感じるようなところだったり、とても面白かった。

「家族の最期を追体験していく」というのはホラーチックな響きではあるけれど、ゲームをプレイしていくと、主人公や主人公の祖母の家族の記憶を残そうとする暖かさみたいなものがあって、不思議と優しい気持ちに。とてもいいゲームだった。

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