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しんしんと降る生きづらさ

中高時代からの友人とよくご飯を食べる。
きっと珍しいことだろうと思うけど、社会人になってからも12歳から知り合いの彼らと月に一回は一緒にご飯を食べている。


働いている会社も違うし、職種も違うけれど、友人と私は時々相似形みたいだ。

今日、一緒にご飯を食べた友人は超絶大手日本企業で働いている。一流大学を出て、大手メーカー勤務、傍目にはどう考えても「いい人生」だ。
年収も平均を大きく超えている。

だけど、彼女の仕事は恐ろしいくらいの単純作業だ。大手企業にありがちな「アップロード」「ダウンロード」ダメ!制約のせいで、新卒2年目の彼女は色々なことを手作業でやっている。

簡単な作業で年収も良くてラッキーじゃん、と思うかもしれないけど、友人は根っからの夜型で、朝から会社に行くことがとてもしんどいらしい。傍目にみててもしんどそう。
仕事内容がノンスキルなのも嫌らしい。

かくいう私も夜型で、他人からみて「いい人生」かはわからないけど、朝はとても辛い。なかなか目覚めない頭でゾンビみたいに会社に行って、午前中はボーッとしている。


そんな二人が集まって「働きたくないねー」とオムライスを食べている。12歳の時には想像もしなかった光景だ。12歳の時、25歳ってどう思ってただろう?とにかく、この姿ではなかった。

真剣に働かなくてすむ方法を2人で考えている。真剣に考えているけど、やっぱり働かなくてすむ方法は全然見つからない。まぁ、そりゃそうか。

この先、何十年も自分を生かすために働かなくてはいけない。二人とも合わない生活サイクルにクラクラしつつ、彼女は意義を見つけられない仕事で消耗し続け、私は絶えず求められるスキルアップで消耗し続ける。


生きづらさ。虚無感。徒労感。
どうして生きているんだろう。

2人で落ち込んで、2人で「占い師になろう。君は四柱推命で、私はタロットカードね」と笑いあえるうちは、まだ溶ける辛さもある。

けれど、静かに止むことなく生きづらさが降り積もっていく。しんしんと、着実に。私たちを生き埋めにしようとするみたいに。

最後まで読んでくれてありがとう。