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私が14の「マイナー言語」を勉強する7つの理由

私は、14のいわゆる「マイナー言語」と呼ばれる言葉を勉強している。どれもヨーロッパの言葉たちだ。

私がそれらを勉強する理由を、ここにまとめる。

写真; 有馬温泉で食べた料理

誰だって自分の努力をほめられたらうれしい。ほめられたら頑張れる。

誰だって自分の努力をほめられたらうれしい。ほめられたら頑張れる。

早速だが、ちょっと私の中高時代の話に付き合ってほしい。

私はとある公立中学校に通っていた。そこはその地域に住むひとなら無試験で入れる。

そこは私の住んでいた都道府県のなかでも、治安が良く落ち着いた学校で、学力試験などでも成績が良かった。

だから「○○中学校から来た」と高校や学習塾などで自己紹介をすると、たいがいみんな「すごいね、頭が良いんだね」と素直にほめてくれた。

ただ、そこは無試験で入れるし、学びが楽しいと思える良い学校だったのは間違いないが、「所詮私の努力じゃないからなあ」といった感想だ。

高校は、都道府県内3位のところに入れた。受験勉強を頑張って、土日も年末年始も返上して1日10時間勉強した。

いろいろなところで「○○高校に入学した」と言う機会があると、みんなからほめられた。

とても自分が誇らしかった。

外国語を勉強することは、簡単ではない。

初級者のほとんどなんにも知らない状態からのスタートは、難しい。

初球から中級に行くための壁も高いし、一筋縄ではいかなくなる。難しい。

中級を超えて上級レベルに行こうと思うと、一気に教科書などの学習に使えるリソースが減る。難しい。

これを知っている留学生(日本→海外、海外→日本)は、みんなそれをわかっているから、すこしでも彼らの言語を話すと、惜しみなくほめてくれる。

ほめられると、がんばれる。

もっと相手のことを理解したい、知りたい、わかりたいと思う。

そして、もっとほめられたいと思う。

「マイナー言語」を学んでいると相手が知ると、もっと惜しみなくほめてくれる。

だから、もっとがんばれる。

その国の文化や歴史を勉強するには、その国の言語の理解が不可欠だから。

私は方言が好きだ。

国にもよるが、ヨーロッパには方言が多い。

方言こそ、まさにその地域のすべてを吸収して生まれたものだ。

だから、それを「恥ずかしい」「汚い」なんて言わないでほしい。

言語もまたそうで、「マイナー言語」と呼ばれるものならまさにそうだ。

ちいさな国のちいさなコミュニティのすべては、ことばの中に込められている。

ことばがわかるということは、すべてを理解する手段を手に入れたも同義だ。

日本語で話す外国人を見るとうれしいから。

どんなに片言でも、翻訳機を使っていても、すこしでも日本語で話されるとうれしい。

そのひとの肌の色、国籍、出身地、話せる言語、生まれたところ、過ごしてきた境遇、好きなもの、嫌いなもの…。そういったものが私と同じでも、違っていても、私達はひとつの「日本語」という縄で繋がれている。たとえその他のすべてが違っていても。

ひとはわかりあえるんだと思いたい。

たとえある空の下でひとがひとを殺そうと、ミサイルの雨が降ろうと、乾いた大地で飢えるひとたちがいようと、私達は同じ「ひと」なんだ、私達は互いを抱きしめられるんだ、そして抱きしめられたらあたたかいんだって、そういったことを感じていたい。

誰かを恨まなくてすむために、まだ見たことのない誰かを嫌わなくてすむように。

英語だけがすべてだと思っていないから

英語ができればすべてうまくいく、という側面が、残念ながらこの社会にはある。

英語ができれば、仕事の幅が格段に広がる。

英語圏の大学は、たいがい「優秀」と見られているし、実際にそうだ。

世界中から頑張るひとたちが英語圏に集まり、社会がより良いものになる。

本だって大概英語で書かれる。

論文だって大概英語だ。

国際学会も、公用語は英語のことが多い。

はっきり言うが、「クソくらえ!」と叫びたくなる(汚い言葉ごめんなさい)。

英語はたまたま世界にある言語の中で世界共通語となったひとつの言語だ。

それは、歴史の偶然としか言えない部分が多い。

英語を話す価値がないと言いたいわけではない。

英語はとても面白い言語だと思う。それは事実だ。

ただ、「英語ができればすべて良い。ほかの言語なんてやらなくて良いしほかの言語も大事にしなくていい」なんていう英語帝国主義は、クソくらえ、と言いたくなる。英語にはなんの罪もない。

世界中を旅して、世界中にお友達をつくりたいから。

Hei

これはノルウェー語で「こんにちは」という意味だ。

Ahoj.

これはチェコ語で「こんにちは」という意味だ。

これだけしか知らなくても、ノルウェーとチェコを旅行して、すぐに現地のひとと打ち解けることができるだろう。

世界中を旅したいから、その国のことばをすこしでも学びたい。

だから私は、最初の会話のきっかけをつくるために、そして彼らと仲良くなるために、言語を学ぶ。

「マイナー言語」という言語はないと思っているから。

そもそも、話者が少ない、多いといったことは、たまたまそうなったということでしかない。

歴史がすこしでも変わっていれば、そういったことは容易に変わっていたはずだ。

「マイナー言語」と呼ぶのは嫌いだ。

たまたまそうなったにすぎないから。

そして、「マイナー言語」だから学ぶ必要性が薄い、実利がないといった議論も嫌いだ。

自分の気持ちに合うことばを見つける旅をいつだってしているから。

「木漏れ日」という言葉を翻訳するのは難しい。

そういったことばは世界中にある。

そして、それらが自分の気持ちと重なることもたくさんある。

そういったことばにもっと触れたい。感じたい。学びたい。ききたい。知りたい。

自分の知らなかった美しさ、感情、喜び、そういったものを知る旅を私はしている。

それが言語学習というものの本質だと思う。

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