わたしはなぜ"謝る"のか?

社会人になってわかったことに「自分て思ってた以上にポンコツだ!!」という発見があります。

もともと勘違いや言い間違え・書き間違えはとっても多いし、間違えてからカバーするという対処法でどうにかいろいろ乗り越えてきてるわたしの人生。そもそも間違えることが駄目!という世界には本当に気が滅入る。

前にも述べたように、わたしは目に見えることしか理解出来ないアナログ人間なので、自分はデジタルなことに免疫がないと思っている。
"デジタルさ"というのはなんというか、ルールのない雑多なものにラベルをつけて全部を抜けもれなく分類していくような感じ。
ガチャガチャに散らかった雑多な山の中から好きなものだけ集めて組み上げていくことばっかりしてきたから、隅から隅まで全てを把握しなければならない感覚がなかなか掴めない。

それなのに仕事はデジタル機器を操作したり、見積書の計算をしたり、上から順に項目をチェックしていくような整頓されたことばかり。
やってみてから考えよ!ととりあえずつっぱしり全部を勘で捉えてるようなテキトー人間にマニュアル通りをこなす仕事を任せてもそりゃあ失敗ばかりなもんで。

上司はとてもカッチリした人だからだろうか。失敗した時には必ず反省と改善案を求められるのが辛い。

自分でよく分かっていないから失敗ばかりするのに、ぐちゃぐちゃな頭を回転させて思ってもいないような改善案と反省の言葉を言うのだ。なんで謝ってるのかわからないけど、この状況で謝る以外の方法が分からないのだ。
自分の顔が死んでいって自分じゃないみたいな声色で喋る、そんな自分に慣れそうになる。
自分で考えられるようになって欲しいから、と言われるけれど、そんなに頭の中がクリアでエクセルの表に情報を埋めていくようにきれいに整理されていたらそもそもミスなんてしないのにな。

わたしにとっては、はじめから上手くいきっこないだろうなってことを任されて失敗しているので、そりゃそうなるよなぁと自分のミスを受け入れてしまう。
上司からしてみたら、なんで1回で出来るようにならないのか、なんで完璧にこなせるように工夫しなかったのかが不思議なんだろう。

自分ひとりに対してこんなにも真っ直ぐに管理の目や指導の言葉を向けられたことがないからかもしれない、わたしの行動全てがカッチリした四角にはまっていくように感じてしまう。
どうやったって窮屈で、どう頑張ろうとしたってそうすぐには変われないのだ。

こんなに失敗ばかり改善なしのわたしに変わらず声をかけてくれる上司のことを本当にありがたいと思う。なんていい人で、なんて真面目なんだろうと思う。仕事を頼むなら自分みたいな人間よりよっぽど信頼出来る人だなぁと思う。
でもそうやって思えば思うほど、性質の違う自分を自覚する。
わたしはそういう風に変わっていきたいんだっけ?と、理想と現実とのギャップに気付いてしまう。

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