「会社員」を辞めようかな。

大学を卒業して社会に出ることになった時、わたしは「働く」ことを選んだ。(美大にいると就活をするかしないか、という選択が最初にあるのです。)

第一に、経済的に自立する必要があると思ったから。いつまでも親に甘えられないという気持ちが強くあった。生活の全てを頼りきりだからかもしれない。せめてお金の面くらいは自分ひとりでも生きていける状況をつくりたいなと思っていた。(結局頼りきりな状況はずっと変わっていないのだけど。親いつもありがとう。)あと、自由になるためには自分のお金で好きなことをするしかないってことも心のどこかで思っていたかも。

第二に、「会社員」になってみたかった。
自分の好きな世界=教育や福祉の領域の人たちは、視野が内側にしか向いていない気がして。関わるほどにそれが肌感で感じられて、残念であると同時に危機感や虚無感を感じた。素晴らしいと感じる価値観や居場所が、儚いものである現実が切なかった。
その直感がどれほど合っているのかを知りたくて、広い世界を知らないことには事実は見えてこないかと思って、なるべく大きく社会を俯瞰して見れる会社を選んだ。

そうやって働いてみたけど、
ふと、
なんかもう辞めてもいいかな、って思った。

人間関係がなかなか恵まれなくて会社を辞めたいと思ったことは何度もあった。
けれど社会人2年目の終わり頃、やっと「逃げ」ではない気持ちで、次のステップに向かうための選択として、辞めることが自然に思えてきたのだ。

まず、生きてる時間を何に費やすかって話。

自分のやりたいことが、仕事としての社会的価値を持っているのかもしれないと思えてきた。ボランティアやお遊びの次元ではなく、他者から対価を得てまで実行する意味があるものなんじゃないかって、自己陶酔でなく、普通の感覚で思うようになってきた。

いまの仕事は、専門家に仕事をお願いするのが仕事で。それをやりたかったという思いももちろんあって、それはそれで楽しいのだけれど…
仮にいまの仕事の中でワークショップに関われたとして、自分がワークショップの中で持てる役割や責任がないんだって思ったら「わたしは専門家になりたいのに!」って思ったのよね。

自分の好きなことや価値のあると思っていることをもっと突き詰めたいし、その分野において社会的に経験値をつけて信頼を得たい。そんでもって、それがそこまで無理なことと思ってない。むしろ向いてる面もあると思ってるんだよね。

ただ、それと対極のように、枠組みをつくって大きな考え方でものごとを進めていくいまのお仕事も面白いと思ってしまう。嫌じゃない。むしろその考え方がもっと上手になりたいとも思う。

対極、と自分の中では捉えがちなのだけれど、 このふたつがどこかで繋がってくるといいな。

それに、会社でやっていることはあまりに多様で、こういう雑多で分類できない仕事ってどこに行っても何の職に就いてもついて回るもんなんじゃないかとも思ってきたんだ。
いつでもどこでもできるなら、今じゃなくてもいいかもって思ったんだ。

がむしゃらに働く中でふと浮かんだ気持ち。じわじわ育てて、確かなものにして、いま実行に移そうとしています。


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