見出し画像

天皇について考えている


赤坂真理さんの『箱の中の天皇』を読みました。
その中で「人形としての天皇」というような部分があって。
第二次大戦中、最高責任者でありながら正しい戦況を伝えてもらえず、軍部にとって都合のいい国体とされていた昭和天皇は、確かに人形だったかもしれない、と。

というあたりでもやもやしていたので、続けて保坂正康さんの『天皇 「君主」の父、「民主」の子』を読みました。
この本は、昭和天皇についてというより、昭和天皇と明仁上皇との親子関係に始まり、若き日の明仁皇太子(当時)の生き方などが、取材に基づいて書かれています。

読んでいてまず驚いたことは、天皇位が実は脆く不安定であることを、当人たちがとても意識していた、ということ。
それまでも、なんとなく貞明皇后は大変だったろうなと思っていたんですね。
というのも、近代以降わずか二代目(孝明天皇も入れると三代目)の、権力基盤が確立されていない時代の皇后だし。
夫である大正天皇は病弱、摂政宮となった長男の裕仁皇太子は、まだ二十歳そこそこで、さらに幼い息子たちと支え合わなければ、実はその身も危うい状況。

それは、日本の天皇家の歴史上、表舞台に出てきた天皇は少数派で、所詮、その時代の権力者たちによって、皇位も生活も左右され続けてきた立場だから、だと思っていました。
例えば、孝明天皇の前の天皇名を、私は言えません。
さらにその前となると、下手したら後醍醐天皇まで思いつかないかもしれない。(でも、今の皇室は後醍醐天皇の子孫じゃない)
そして後醍醐天皇の前だと、ひょっとして後白河法皇? いや法皇だし。

というくらい、日本の歴史上、天皇の存在って割と危うく脆いものだったんだよな……とは思っていたんですが。
それだけではない、外的要因も、皇室の存在を脅かしていたんだと。
例えばロシア革命。
ロシア帝室の末路は、明日は我が身だったかもしれない。
戦後、日本でも革命の気配が漂っていた頃、娘を皇太子妃とした正田家が「もし革命が起こって天皇制が廃止されたら……」と娘の身を案じるほどに、その存在は不安定だったのかもしれない。
今では信じられないけれど。

そして、何と言っても太平洋戦争の敗戦。
まだ若かった明仁上皇が、次世代の皇太子として、戦後の日本と天皇家の未来を背負って、海外の要人と親善外交をしていくことになります。
父である昭和天皇には、戦争の色が染みついているので、新生日本としての信用回復のための、親善外交です。
誰にも代わってもらえない中、絶対失敗が許されない、そんな緊張感と戦い続けるわけですよね。頭が下がるなんてもんじゃありません。
戦後すぐの諸外国は、当然日本の天皇家に対しても冷たくて、批判の矢面に立つわけです。
その中で、若い明仁皇太子は、これからの日本がどうあるべきかを考え、冷静に最善の言動を考えて行う。
並みの人間じゃ、真似できないし、精神がもたないでしょ。
だからこそ、国民からの圧倒的支持を集める象徴天皇という立場を、築きあげたわけですが。

人格者でなければ、世界に自分の居場所がなくなるかもしれない。
その恐怖は、人に鍛練を強いて、絶対的人格者を作り上げるのかもしれません。
でも、そんな恐怖とは関係なく、市民も天皇も当たり前に生きていける世の中の方が、いいはずだと思います。
確かに、恵まれた環境を生まれながらに得た人には、それなりの責任が生じますし、その覚悟がなければ、彼らにつき従う人々に対して失礼だと思います。
それでも、誰も好きで天皇家に生まれたわけじゃないですしねえ。
と思うのは、次に『昭和天皇、敗戦からの戦い』を読んだからですね。

『昭和天皇、敗戦からの戦い』は、昭和天皇・秩父宮・高松宮・三笠宮の4兄弟が、どのような人生を送ってきたか、取材からまとめられています。
貞明皇后の息子たちの、あの戦争との関わり方にはすごく興味があったので、この本も面白かったです。

一部では、高松宮は開戦論者だったと言われていますが、それが昭和天皇の『独白録』にそういう文言があるから、だと思われます。
しかしこの本を読むと、昭和天皇も三人の弟宮たちも、開戦に批判的だったり、軍部の暴走を批判したり、停戦を望んでいたり、どちらかというと平和主義者なんですよね。
なのに、なぜこうなったのか。

ひとつに、昭和天皇と弟宮たちとの間で、当時の天皇制に対する認識の差異が、若干あったのではないかと思ってしまいます。
つまり弟宮たちは、戦争を回避するために皇族である立場を利用しようとしたし、他の人が言えば処罰されるようなことを、あえて言う義務が皇族にはある……くらいに思っていたんではないかと推測します。
それに対し、昭和天皇からすると、兄弟というのは私的な関係だから、政治に口をはさむのは越権行為ではないか、ということですね。
まして、立憲君主制ということになっていますから、政府と統帥部の決めたことを覆すのは、いかがなものかと。

う~ん、どちらの言い分にも一理あるんですよね。
ただ、政府も軍もまともに機能していなかったから、高松宮や三笠宮は発言をしたし(秩父宮は病気療養中)、政府や軍がまともじゃなかったから、弟宮たちの意見を下手に取り入れて天皇独裁に走ろうとしたら、クーデターが起きていたかもしれない。と、昭和天皇は恐れていた。
五一五事件、二二六事件を、見てますからね。

つまり、結局、歴代の天皇や皇族たちは、暗殺や排除の恐怖と常に隣り合わせで、そこから我が身や家族を守るための行動をしていただけ、ということなのでは? なんて人間くさいことを想ってしまいました。
神さまなんかじゃない、我々と変わらない、弱い人間のひとりなのに。
自分が生き残るために、名君であろうとすることによって、結果、国民の利益にもなる、Win Winの関係ですね。

それじゃあ、あの戦争はなぜあんなふうになってしまったのか。
昭和天皇は、立憲君主制だと思っていた。
でも、実は専制君主として、もう少し実権を握りたかったのではなかろうか。
それを、政府や統帥部によって、ある意味制限されていた。
一方の国民は、専制君主制だと思っていた。
政府や統帥部からしてみると、天皇は祭り上げておいて、国民には「天皇の大御心に従え」というようにして忖度を求めることは、容易なことだったろう。
天皇の知らない、政府や統帥部の「お気持ち」に忖度する習慣が蔓延し、彼らの利権や面子のための戦争となり、勝つための戦略が疎かになった。
というのが、現時点での私の意見です。

なんか、すごくよく見てきた世界……という気がするのが、怖いのですよ。
戦場の兵士は頑張って戦っているのに、補給計画がずさんであるゆえに、勝てる戦でも負けてしまう。
75年間、何を学んできたんでしょうね、我々は。

絶対的に有能で人格も優れている、神様のような君主がいて、その君主の指示通りに動けば、幸せが約束される。
そんなファンタジーがあれば、市民はラクなんですけど、現実はそうではありません。
だからやっぱり、過去の失敗から学んで、皆が知恵を出し合った方がよい国づくりに向かうだろうと思います。

この記事を書くのに2週間もかかってしまったので、その間になんと安倍政権が終わってしまいました。
7年半の功罪を、原因も追究しながら、我々は見ていかないといけません。
少なくとも忖度のまかり通る政治は、まずい。
どんな人も、当たり前に幸福に生きていける社会じゃないと、この国は今後もちません。
若者が普通に働いても、結婚や子育てが「贅沢」になるような収入しか得られないのであれば、遠からず国家は破綻します。
それは個人のせいではなく、個人ではどうにもならないことを、国が対応してこなかったから。

国家とか社会とかいうものは、天皇のためでも、政治家のためでも、資本家のためでもなく、そこに住んでいる人々のために存在するべきものなので。
少なくとも日本国憲法は、そういう国であると定めてあるので、もちろん皇族も政治家も資本家も含めた、すべての人々が幸福であるように、これからの政治をひとりひとりが考えていった方がいいな、自分の問題だから。
そう思っています。

長くなってしまった記事を、ご一読いただきありがとうございました。
















よろしければサポートをお願いします。いただきましたサポートは、私と二人の家族の活動費用にあてさせていただきます。