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しししし①と銀河鉄道の夜
めまいで、うだうだと横になりながら、体調の山場を探りつつ読書してた、『しししし』①と『新編 銀河鉄道の夜』。
ちょっと不思議な体験だった気がする。
『しししし』①を読みながら、気分で『新編 銀河鉄道の夜』を手に取り、その中のしかも「銀河鉄道の夜」を拾い読みする。
体調が思わしくなく、カムパネルラに死をささやかれながら、『しししし』①で人生を振り返っている。
だいたいが「もっと本を読んどけばよかったなあ」とか「もっと学問やりたかったなあ」とか。
『しししし』①を読むと、読みたい本が無限に増殖していくようで、つまりはおのれの無教養さに打ちのめされるわけだけれど、まだまだ世の中にはこんなに興味深い本があるんだって知れることは、幸福以外のなにものでもない。
遅ればせながら、もっと読みたい。学びたい。
これまでなんやかんやと生きてきた51年なのだから、もっともっと好きに読みたい。
そう思いつつ、残された人生の時間を考えると、あと30年、今の調子で読める保証はなく……。
であれば、系統立てて学べるか否かも危ういので、究極的には、自分が満足するように、読みたい作品から読むのが一番だよねと、なんか普通の答えに落ち着いてしまうのだった。
それにしても『しししし』①は、私の知っている文芸誌とは趣を異にしていて、テクストよりも評論とか、本に対するエッセイが多く、今の年齢だからこそ読めた本かもしれない。
それは、10代20代の頃だったら、自分の無教養さを認めるのが悔しくて、興味がないふりをして、おのれの小さな世界に閉じこもって、多分、スルーしていただろう。
今なら、当時の自分に「莫迦なやせ我慢してないで、何でも読んでみなさいよ」って言うんだけど、それで素直に言うこと聞くなら子育てはラクだよね、はい。
本ってやっぱり、自分の人生の中でめぐり合うべき時期というのがあると思うので、発行から50年後でも100年後でも、手に取ったときが、その人にとっての旬。
「今さら」とか「遅い」とか他人の目を気にすることなく、自分が読みたいときに読みたいように読んで、心の中に何かが残れば、その読書は良い人生のひとときになると思う。
というように『しししし』①を読んだ後、『新編 銀河鉄道の夜』の「銀河鉄道の夜」以外の作品も読んだけど、正直、すごく複雑。
面白い作品と、何なんだこれは? が極端すぎる。
「カイロ団長」「猫の事務所」「北守将軍と三人兄弟の医者」「セロ弾きのゴーシュ」「飢餓陣営」は、面白かった。(「銀河鉄道の夜」以外で)
と書くと、勧善懲悪が好きなだけだろ? というツッコミがどこからともなく入ってくる。わかりやすいストーリーばっかりじゃん、とも。
すんませんね、単純で。
反面「ビジテリアン大祭」は、どういう拷問かと思ったけど、それは私がお肉大好きだからだろう、そうに違いない、きっとそうだ。
解説を読んでも「ビジテリアン大祭」がどう面白いのかわからず、なぜこんな長編を掲載しているのか、宮沢賢治と宗教との関連性が……と言われたらそうかもしれへんけど、おばちゃんにはホンマに苦痛でしゃあなくて、それまでのおもろかった記憶を全部上書きされてもうたわ。
恐るべし、宮沢賢治!
私は普段、本を読んだら、ノートに感じたり考えたりしたことをまとめているのですが、「ビジテリアン大祭」のインパクトの強さで、『新編 銀河鉄道の夜』のことを書くのをすっかり忘れていた、ということに今気づいた。
私の中で「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」と並ぶ、記憶に残る宮沢賢治作品かもしれない。
てか、さっきから「ビジテリアン大祭」のことしか書いていない。
恐るべし、「ビジテリアン大祭」!
これはもはや愛だね。
愛があっても私はベジタリアンにはなれず、今日も昼にレバー食べたし、晩御飯もハヤシライスです、サラダにツナ缶も入ります、卵もあります、肉食万歳!
次はどの本を読もうかと、迷いつつも夜が更けていくのでした。
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