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【読書記録】『蘇我氏の古代』を読んで考えたこと。

吉村武彦氏の『蘇我氏の古代』を読み終わってからの、まとめについて書きます。
3行日記でもぼちぼち書いていたので、重複になったらすみません。

欽明天皇以前は、夢の中

この本は、蘇我氏が台頭してくるちょっと前の時代から、考古学的資料や『日本書紀』などを参照しつつ、ヤマト王権を支える古代の豪族・貴族について、書かれたものです。
当然のことながら、欽明天皇以前の記録は少なく、神話や伝説が入り混じっており、疑わしさがぬぐい切れません。
『日本書紀』だって、律令制期の書物でしょ? もともと文字を持たなかった人々が、200年前のことをどうやって正確に記録できるというのか。反証できなければ、事実と認めるのは怪しいですよねえ。

なので、書かざるを得ないから書いたのかもしれないけれど、欽明天皇以前は夢の中をさまようがごとく、です。
倭王武=ワカタケル大王説も、ちょっと私は納得してません。万葉仮名の時代に武をタケルとは読まない説に、一票! 読んでる史料を見たら、また変わるかもしれないけれど。

蘇我氏の立ち位置

で、まあ、蘇我氏の立ち位置ですよ。
蘇我稲目の時代がちょっと古いので、煮え切らない部分もありますが。

まず、ヤマトの王に仕える氏族として大伴氏と物部氏がいた。
大伴氏は王権に労働力で仕える氏族。物部氏は物品を奉り管理する氏族。
先発の彼らは、役職名が氏の名前になった。伴造系(連系)氏族。

後発の蘇我氏は葛城氏などと共に、地名を名のった氏族として、区別される。臣系氏族。

蘇我氏は後発なので、ヤマト王権の中で力を手に入れようと、いろいろやったわけですよね。渡来人を味方に引き入れ、大陸の先進文化(仏教など)を取り入れたり、娘を大王や王子に嫁がせて縁を深め、大王位選定メンバーである群臣の中核ポジションに進み、つかんだ権力を息子に継承させようとする。

あれ? これって藤原氏が摂関政治でやった手法では?(特に後半)
蘇我氏って藤原氏のプロトタイプだったのか……。

蘇我氏全盛のころは、大王位も兄弟継承が主流ですから、用明天皇・崇峻天皇・推古天皇と蘇我系の妃を母に持つ天皇が続きます。天皇たちにとって、蘇我馬子はおじ。馬子の後見によって権力維持してた部分もあるだろうから、持ちつ持たれつの関係だったんだろうなあ……(でも崇峻は切られた)

この蜜月関係が崩れるのが、推古天皇の長命さゆえ……というのが、驕れるものも久しからず、なんですかね。
中継ぎのはずの推古より先に皇子たち(厩戸ら)が亡くなってしまい、予定が狂った。厩戸皇子の子・山背大兄王の母は蘇我馬子の娘なのに、馬子の子・孫である蘇我蝦夷・入鹿は山背を支持せず、逆に滅ぼしてしまった。なんで?

これはもう想像ですけど、蘇我系だからこそ、山背大兄王は自分が蘇我氏の権力掌握に飲み込まれてしまうのが嫌だったんですかね。厩戸皇子の子だからこそ。崇峻暗殺の影響もあったのかもしれない。でも、馬子の弟の摩理勢は山背派なんだよな。

蘇我蝦夷が大臣位を勝手に息子・入鹿に与えた、というのがものすごく悪逆非道なことのように書かれているみたいですが、大王の任命権を奪ったというのは確かに政権の根幹にかかわることだし、任命権を蘇我氏が継承したら大王位も蘇我氏に移行することになりかねない。継体天皇の子孫であることがまだ生々しい時代であれば、その危惧はあったかもしれないですね。(だから入鹿を暗殺した)

蘇我氏は滅んでいなかった

大化の改新(乙巳の変)で入鹿が殺され、蝦夷も自害して、蘇我氏は滅んだ……って信じてましたよ、昭和の学生は。
実は変の後も、蘇我氏の傍流は生き残って、ヤマト王権内で権力持ってたんですね! (と、倉本一宏さんの『皇子たちの悲劇』を読んで初めて知ったから、蘇我氏に興味を持ったんですが)

てか、乙巳の変で中大兄皇子側についたやつがいたのか。なんだ、本当に単なる権力闘争じゃん。でも、中臣鎌足にはかなわなかったわけね。

蘇我氏本宗家を潰してのしあがった傍流家も、まあ身内争いをする連中といえばその程度というか。壬申の乱で大友皇子側について没落。
さらに生き残った人たちも、蘇我氏の名を捨て、石川氏を名のる。

やっぱり逆境からのしあがっていく、その頃の方がパワーがあるよね、何ごとも。権力の座についているのが当たり前になったり、他者を引きずり落とすことばかり一生懸命になったりしたら、ちょっとしたきっかけで足を掬われるし、落ち目の人間が権力者に媚びを売ってしがみつこうとして回るのは、傍で見ててもわかる。
なんか哀しい。

藤原不比等は蘇我氏の没落から学んでいた

藤原氏の権力掌握術が、蘇我氏そのまんまじゃん、というのは先ほど書いたとおりですが、不比等は蘇我氏没落の轍を踏まないよう、手を打ってたんですね。

その名も、蔭位の制!
正一位の功臣・鎌足の孫までは、自動的に高位につくことができるという仕組みを、律令制に盛り込んだわけです。
「え? 親が権力者だからってずるい? だってそういう制度だもん、仕方ないじゃん」というやつですよ。あくどいですね。

そうやって堀を固めても、院政によって権力を手放すわけですが。
しかし、ほんっとうに権力闘争ばっかりですね。

孝徳天皇がよくわからない

本書の本流から離れた話になりますが、孝徳天皇がよくわかりません。
改革をやろうとして、「お墓を小さくしよう!」はわかるんですけど。
「河川の渡し場で、手数料を払うの禁止」「農繁期に労働者を集めて酒肴を振舞うの禁止」って、どういうことなんでしょう。
え? 王権の目の届かないところで、経済を回すな、みたいなやつ?

機会があったら、この疑問も追究したいと思います。

おわりに

今回『蘇我氏の古代』を読んであらためて感じたのは、
① 権力者の外戚の地位を狙うのは、古典的常套手段である
② 他人の失敗からより多くを学んだ奴が、長く生き残る
でした。えげつないですね。

わからないことが多い時代は、権力者の動向を押さえるだけが精一杯なので、読んでいるこちらは、神の視点を持ったような錯覚に陥りますが。
その錯覚の危うさも意識しつつ、またいろんな本を読んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

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