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『ドラゴンボール』について、受け止めたこと。

鳥山明さんの訃報により、ネット上で鳥山明論が飛び交っておりますが。
私も『ドラゴンボール』については、個人的に思うところがあるので、書かせていただきます。

『ドラゴンボール』は夢と冒険のファンタジーで始まり、孫悟空の成長に従ってどんどんバトルマンガと化していったわけですが。
そのストーリー展開は、読者の予想の斜め上をいつもいっていたというか。

ある日突然、ジャンプをめくってたら、悟空が成長してる! なんて、いやもう腰を抜かしたなんてもんじゃなかったですよ、リアタイ勢としては。
あのかわいい悟空はもういない……って、夢にまで出てきたわ。

などと言い出したらきりがないので、一番書きたいことだけ。

『ドラゴンボール』に政治色はないととらえている方もいるようですが、私個人としては、ミスターサタンの描き方ってめちゃくちゃ政治的じゃないかと思ったんですね。
あれは、日本だと。

『ドラゴンボール』を未読の方がもしいらしたら……という場合を想定して、一応説明しますと。
ミスターサタンって世界格闘技チャンピオンという触れ込みで、作品世界での知名度ある男という設定なんですが、『ドラゴンボール』のメインキャラたちと対戦経験が一度もない、まあ素人に毛が生えた程度の男です。
ただ、知名度があり人気も高いという設定なので、いつも偉ぶっている。
読者から見ると「無知で恥ずかしく痛い男」ということになります。

そんなミスターサタンが、魔人ブウ編で「格闘技チャンピオンとして魔人ブウを倒す」という役割を押し付けられてしまうことになります。
当然、まともに向かっていったら、力の差で瞬殺されます。
自分より格段に強い奴が世の中にいる、ということをうすうす感じ始めていたサタンは、それでも自分を信じている人たちを前にして逃げ出すこともできず、遊びのように殺人を繰り返す魔人ブウの、ご機嫌取りをするようになります。
そしていつしかブウの「友だち」のようになり、ブウに我が身を守ってもらう立場になっていくんですね。

このサタンとブウの関係性って、日本とアメリカでは? と思ったんですよ。
資源のない弱い日本。戦争を放棄した国であるがゆえに、湾岸戦争で「血を流さない」と揶揄された日本。
でも所詮小国なんだから弱くて当たり前で、(真珠湾攻撃のように)やみくもに突進するより、おのが力を理解した上で、友好関係を築いていくことこそ、日本の取るべき道。

で、ブウとの関係性を構築することで、作品の中に居場所を得たサタンは、かめはめ波も気円斬も出せなくても、サタンにでもできることで悟空たちの闘いをサポートしていくし、最終的に、サタンにしかできないことで地球のみんなを救うんですよね。

だから、日本の外交の目指す道は、ミスターサタンじゃないかと思ったんですよ。

と同時に、悟空の切り札の元気玉。
戦士じゃない一般人の元気をちょっとずつ分け与えることで、悟空が強敵を倒せるくらいの力を得ることができるというやつ。
これって要するに、民主主義政治をあらわしていますよね。

いつもいつも悟空たち一部の人間が、身体をはって地球を守っているけれど、それを他の連中は気にも留めず、当たり前のように平和を享受している。でも、皆の平和なんだから、皆にも力を使わせるべきだ、と。

これが国民皆兵制を念頭においたストーリーであれば、中高年になったメインキャラが格闘技道場をあちこちに開いていて、そこから優秀な戦士が次々と現れて……という方向性になっていったと思うんですよ。
でも、逆に平和になった世界で、悟飯や悟天、トランクスなどの次世代層は修行からも遠ざかり、結局、格闘技という趣味の延長線上に「いつか来る地球の危機」が置かれる。

え~と、私の中で『ドラゴンボール』はコミックス42巻で終わっているので、その後編がどうとかは知りません。ごめんなさい。
ただ、魔人ブウ編の『ドラゴンボール』には、当時の社会情勢の影響は確実にあったと思います。

ということを考えながら、鳥山明氏の早すぎる訃報を噛み締めるのでした。
お付き合いいただきありがとうございました。


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