見出し画像

山川出版社『詳説日本史探求』の考察⑥

山川出版社発行の『詳説日本史 日本史探求』について、従来の『詳説日本史』からどのような記述の変化があったかを、自らのメモも兼ねてこちらに記していきます。
今後の学習のヒントになりうる要素もあるかもしれませんので、ご自由に活用いただければと思います。

※比較に際して見落としなどが発生している場所もあるかもしれませんのでご了承ください。
※私が参照しているのは2018年発行の『詳説日本史』なので、以後の版で既に修正が加わっている内容もあるかもしれませんが、この点ついてもご了承ください。


《平城京の時代》

■ 遣唐使
・東アジア文化圏についての言及がなされるようになりました。
・「冊封」についての説明が欄外に追加されました。
・遣唐使の正月参賀などに関する記述が追加されました。
・留学生や学問僧の役割として、多くの書物や知識をもたらしたことが明記されました。
・新羅が8世紀初めまでは日本に従うかたちをとっており、のち対等外交を主張したことが記載。従来は単に「従属国として扱おうとした」という記述だったため、外交状況が詳細になりました。
・渤海が日本に従属するかたちをとっていたことが明記されました。
・阿倍仲麻呂について、「客死した」という部分が「船の遭難で唐にとどまった」となりました。

■ 奈良の都平城京
・平常宮が藤原宮よりも広かったことなどが追記されました。
・下級官人がみずからの本籍地で農業経営に従事していたことが追記されました。
・蓄銭叙位令の発令年「711年」が明記。並びに京・畿内においては調の銭納がおこなわれていたことなども追記されました。

■ 地方の統治と蝦夷・隼人(新しい章名)
・郡衙に租を蓄える正倉がおかれたという記述が明記されました。
・国司に中央の官人が一定の任期で派遣されたという点が明記されました。
・郡司が多くの田地保有を認められていたこと、その伝統的な支配力が律令制の民衆支配を支えていたというような記述がなされました。
・律令国家が唐と同じ帝国構造をもっていたことなどが追記されました。
・蝦夷と隼人を異民族として服従させていったという記述をまず加え、そのうえでそれぞれの服従過程を示すように変化しました。
・隼人が天武~持統天皇のころに服属したことが明記されました。

■ 藤原氏の進出と政界の動揺
・長屋王が「親王の待遇を受けていた」という点が追記。当時の木簡からは「長屋親王」と書かれたものが見つかっています。
・長屋王の妻「吉備内親王」が欄外から本文へ移動しました。
・聖武天皇の出家と譲位の理由が欄外に追記されました。
・藤原仲麻呂の政策が「唐を模倣した儒教的政策」であったことが明記されました。
・太上天皇の説明が欄外に追加されました。
・道鏡政権における西大寺造営や百万塔製作の内容が、欄外から本文に移動しました。
・光仁天皇即位を立てた中心人物として、式家の百川に加え「北家の永手」も追記されました。

■ 民衆と土地政策
・政府が浮浪人の把握をめざしていたことが追記されました。
・郡司の衰退と国司の支配強化がどのように進んだのかが本文中で明記されました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?