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芭蕉はなぜ、行けなかった土地の句を詠んだのか?|対談|小澤實×浅生ハルミン#3

俳人・小澤實さんが芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、俳人と俳句と旅の関係を深く考え続けた二十年間の集大成芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)が、好評発売中です。
そこで俳句の魅力、芭蕉の魅力、旅の魅力について小澤さんと3人のゲストが語る対談をお送りします。お一人目は、本のカバーや帯に素敵なイラストを描いてくれたイラストレーター・エッセイストの浅生あさおハルミンさん。3回シリーズの最終回は、若き日の芭蕉の話からスタートです。

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「芭蕉」を生み出した主君、蟬吟せんぎん

ハルミン:『芭蕉の風景』には、芭蕉が伊賀上野にいたころのことも書かれています。芭蕉は若い時から苦労していたんですね。

小澤:特に二十三歳で、主君の蟬吟(上野城の侍大将、藤堂新七郎良精の嫡男良忠)が亡くなったときは、ものすごいショックだったはずです。俳諧も習い始めたし、生活も保障されて、ここを足がかりに、なんとか生きていけると思っていたら、急に蟬吟が二十五歳の若さで亡くなって……どうやってこれから生きていったらいいだろうという気持ちだったと思います。

ハルミン:それで江戸に出たんですね。

小澤:そうです。いろいろ求めながら江戸に出てきたんです。もし蟬吟が長生きしていたら、絶対に「芭蕉」は存在していなかったので、蟬吟には申し訳ないけれども、運命だったのかなとも思います。後世の者としては、これだけすごい句を残した芭蕉を生み出す、一つの準備をしてくれたのが蟬吟ということになりますよね。だから僕にとって、伊賀上野の蟬吟の墓は、とても大事な場所の一つです。

 雨雪となりたり墓の面打つ 實

『笈の小文』所載の芭蕉の句「さまざまの事おもひ出す桜かな」の取材で、蟬吟の墓がある三重県伊賀市の山渓寺さんけいじを訪ねて詠んだ句[上巻216ページ]

蟬吟は夭逝ようせつしたので、先祖の墓所からちょっと離れた位置に墓が置かれているのですが、それがまた哀れを誘うんです。芭蕉は帰ってきたら、必ずそこに参っていたと思うので、強く芭蕉の気配を感じる。伊賀上野ではお薦めの場所ですね。

ハルミン:こんど帰省するときに行ってみます。いままで名古屋の方には行っても、伊賀上野にはなんとなく縁がなかったんですけど、絶対に行きます。

小澤:伊賀上野は、電車で入るのが意外と大変で、連載の初めの頃は忍者電車(伊賀鉄道伊賀線)で行っていましたけど、後半は名古屋から高速バスで行くようになりました。猫がいそうな町ですよ。ハルミンさんが行ったら、蟬吟の墓辺りにいるんじゃないかな。

伊賀上野城からの眺め

ハルミン:そんなの見ちゃったら、もうどうしよう。それにしても、なぜ伊賀上野は、そんなにすごい俳人を輩出したのでしょうか? 俳句が盛んなところだったんですか?

小澤:とにかく蟬吟がいましたからね。蟬吟は、文化的な教養を身につけるために京都で北村季吟きぎんという俳諧の先生に習っていて、言葉の面白さみたいなものに気づいていたんです。それを芭蕉と分かち合うことができて、芭蕉もそれが面白くなって……だから、本当に蟬吟は出発点として大事です。蟬吟が俳諧の趣味を持っていなかったら、「芭蕉」はいなかったし、蟬吟が長生きしていたら、芭蕉は本当に平凡な俳人で終わっていた。おそらく蟬吟の下を出ることはなく、自由な才能を伸ばすことができなかったと思います。

ハルミン:すごいですね。たった一人の人との関係によって、芭蕉は偉大な俳人となって……深い。

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芭蕉が行けなかった名所

ハルミン:では、また私が気に入った小澤先生の句を紹介します。

 波打際の揚羽あげはまぼろしにはあらず 實

『おくのほそ道』所載の「わせの香や分入わけいる右は有磯海ありそうみ」の取材で、歌枕の有磯海(富山県高岡市)と担籠たご藤浪ふじなみ(富山県氷見市)を訪ねて詠んだ句[下巻119ページ]

ハルミン:まず光景が美しいと感じて、その後に小澤先生の解説を読むと、芭蕉はこの有磯海というところに行きたかったけれど行けなかった、と書かれていました。それで、先生が揚羽を見て、芭蕉に「その場所は、まぼろしじゃなかったよ」と言っているのかなと感じました。そして、波打ち際に揚羽、海の蝶って、見たことがないので、すごく幻想的な感じもします。

小澤:「まぼろしにはあらず」と言っているので、明石の蛸とは違って(第2回参照)これは本当だったと思いますよ。なんか記憶にあるような気がします……自分の記憶は大丈夫かという気もしますが(笑)。芭蕉が行けなかった名所に行けたことも嬉しかったですね。太平洋側では仙台の手前にある笠島。平安時代の歌人が神の怒りに触れ雷に打たれて亡くなったと伝わる場所で、西行ゆかりの地でもあります。

多羅葉たらようの春落葉なり雪に得し 實

『おくのほそ道』の取材で、平安中期の歌人、藤原実方さねかたゆかりの笠島(宮城県名取市)を詠んだ句。道を間違えた芭蕉は、笠島に立ち寄ることを断念、「笠嶋はいづこさ月のぬかり道」と詠んだ。[下巻59ページ]

『おくのほそ道』では、芭蕉が行きたかったけれども行けなかった名所として、太平洋側の笠島と日本海側の有磯海が対比されているのですが、『芭蕉の風景』の取材ではその両方に行けました。この行けなかったところをあえて書くというのが、芭蕉のうまさで、すべてを書き尽くすのではなくて、読者の想像力をかき立てているところがあると思います。

ハルミン:行けないところがあると、奥行きを増すと。

小澤:完全すぎることを避ける美意識が働いているのでしょうが、その行けなかった場所が両方とも印象的なところだったので、芭蕉はもう全部行ったらよかったのにと思いました。有磯海も、とても水がきれいで……この紀行で訪ねた海の中で一番きれいだったんじゃないかな。水が澄んでいてよかったです。

ハルミン:磯ですよね。砂浜じゃなくて、岩がゴロゴロしているところですか?

小澤:砂もありました。岩もあって、砂もあって、風光明媚なところです。背景には3,000m級の山がそびえていて、本当にポスターみたいな景色で。そして宿に帰ると、おいしいブリが待っている。

ハルミン:待ってた!

小澤:残念でしたね、芭蕉。

有磯海

京の町で感じた芭蕉一門の気配

ハルミン:最後は地蔵堂の句です。

 地蔵堂生けて冬菊あたらしく 實

芭蕉が、弟子の呂丸ろがん去来きょらい宅で客死したことを知った際に詠んだ追悼句「蒟蒻こんにゃくのさしみもすこし梅の花」の取材で、中長者町通(京都市上京区)の去来本宅跡を訪ねて詠んだ句[下巻285ページ]

ハルミン:菊は、薔薇ばららんとはちがって、とても庶民的で、清楚で、好きな花です。その菊が、冷たい澄んだ空気の中に生けたばかりで、まだ葉っぱに水がついているような新鮮な感じ。たぶんこの地蔵堂には木の囲いがあって、そこに冬菊がシュッと生けてあるのかなと。先人のころからいまも菊が途切れずに生けられて、その菊のフレッシュさに先生が感じ入られたところが好きでした。

小澤:ありがとうございます。京都ですよね。

ハルミン:ちょっと町場の感じがしました。

小澤:京都の芭蕉の旧跡を訪ねるのも楽しくて、よく行っていました。去来の家は、嵯峨野の落柿舎らくししゃが有名でみんな行きますが、あれは再建で当時の庵の正確な場所はわからないんです。それに対して、去来の本宅跡は確かにわかっていて、中長者町というところに住んでいた。洛中でも本当に静かな佇まいで、その辺を歩くのもとても楽しいことでした。そこにハルミンさんがおっしゃったような小さなお堂があって、菊があたらしく生けられていたのを見て、朝朝に換えているんだな、去来のころから続けてきたのかなという気がしました。ここでも去来の気配を感じているわけです。

ハルミン:取り換えている人がずっといるのは、すごいですね。続けているって。

小澤:そうですね。観光地ではない京都のよさというんでしょうかね。京都人の細やかな生き方のすばらしさを感じますね。その辺の人に、「去来という人が住んでいたのを知っていますか?」と聞いたんですけど、「知らない」と言われるんですよ(笑)

ハルミン:知らないけれども、そういうものだ。お地蔵さんには、お花をあげなければ……うわぁ、素敵だなぁ。

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猫の目線で、俳句を

小澤:本当によく選んでくださって、ありがとうございます。やっぱり猫の目を感じますよ。実家に猫がいるのでわかるのですが、猫が見上げている視線で、ハルミンさんが選んでいる感じがします。魚がうまいところの句を選びがちだし。

ハルミン:確かにそうですね! 生き物が入っているものが多かったですね。

小澤:おいしい海幸の気配を猫レーダーで感じ取っている。ハルミンさんともう少し早く出会っていたら、『芭蕉の風景』でも猫を見つけ出して、猫の俳句とか書けたのにね。残念だったなぁ。

ハルミン:早く出会っていたら、大変なことになっていました(笑)

小澤:僕もハルミンさんの本を読ませてもらったのですが、中公文庫の『猫の目散歩』は『芭蕉の風景』 と同じだなと思いました。僕はいつも芭蕉と俳句のことを考えながら散歩していて、ハルミンさんは猫の目で散歩していて、そして、どこかへ行こうとしている。とても共感しました。

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ハルミン: 私も、芭蕉の旅を、小澤先生を通して体感できて楽しかったです。

小澤:『三時のわたし』(本の雑誌社)は、本当に毎日三時に書いていたんですか?

ハルミン:毎日メモして、10日ぐらいのうちにまとめて書いていました。1カ月も経つと忘れてしまうので。

小澤:日記には、俳句は書かないんですか?

ハルミン: 書かないですね。俳句は愉しいですが難しくて、毎日はなかなか……。

小澤:毎日一句作ったら、もう俳人だよね。句会や投句がたくさんあるので、俳人はみんな毎日一句作っているんじゃないかな。レベルを低くして、毎日一句作ると面白いと思う。きっと、ますます猫に近づきますよ。

ハルミン:力がつきそうですね!

小澤:ハルミンさんの俳句はすばらしいので、ぜひ挑戦してほしいですね。

(完)

次回からは3回シリーズの予定で、紅白歌合戦の初出場や解散宣言で話題のアイドルグループ、BiSHのモモコグミカンパニーさんと、小沢實さんの対談をお送りします(第1回は1月下旬予定)。

撮影・三原久明
撮影協力・町田市民文学館ことばらんど

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小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年(1956)、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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浅生ハルミン(あさお・はるみん)
昭和41年(1966)、三重県津市生まれ。出版社やデザイン事務所勤務の傍ら、現代美術家としての活動を経て、イラストレーター、エッセイストとして活躍中。著書に『猫の目散歩』(筑摩書房)、『私は猫ストーカー』(中公文庫)、『三時のわたし』(本の雑誌社)など。最新刊に『江戸・ザ・マニア』(淡交社)。装幀・イラストに吉行理恵『湯ぶねに落ちた猫』(ちくま文庫)、嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館)など。『芭蕉の風景』の装画も手掛けている。

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