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[最終回]宿命を反転させる旅 (岐阜県養老郡養老町)|ホンタビ!文=川内有緒

作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る連載「ホンタビ!」。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する。

 人間にとって「死」は宿命である。死なない生き物はいない。それが現代の常識ですよね? いや、そうとも限らないと言われたら驚かないですか? 実は「死」という生命の宿命を覆すための壮大な実験場が岐阜県にある。その名も養老天命反転地。作者はアーティストの荒川修作+マドリン・ギンズ(以下荒川+ギンズ)。よおし、いっちょう私も宿命を反転させようではないか、と養老の地にやってきた。

1995(平成7)年、養老山地を見渡す養老公園内にオープンした「養老天命反転地」。ゲートである《不死門》は、鳥居の原型が2本の竹であったことに着想を得ている

 短く言ってしまえば、ここは「死なないこと」を目指す体験型アート。養老山地を背景にした広大な敷地には、まず「記念館」なる建物がある。もともとは管理事務所として設計された建物だそうだが、実際に事務所として使用されたのは、数カ月間だけ。まあ、それも無理ない。一応大きな備え付けデスクもあるが、部屋のほとんどは傾斜のある立体迷路のようなものが占めている。ここが自分のオフィスだったら……と想像しながら椅子に座る。視界がカラフルで、外への出入り口もたくさんあり、楽しいかも。仕事が捗るかは別だけど。

「養老天命反転地記念館-養老天命反転地オフィス」。出入り口が10カ所あり、入り口によって内部の印象が違って見える
 館内は、同じ色と形の構造物が天地対称に設置されている。オフィスを想定して造られているので、トイレも完備。とても個性的なので、ぜひ利用してみてほしい

 記念館の先がいよいよ本番。《不死門》というゲートがあり、脇には巨石がゴロゴロと積まれた山がそびえる。滑って転んだら痛そうなので、慎重に一歩ずつ登る。頂上には井戸と手押しポンプがあった。汗ばんだ手に冷たい水が気持ちいい。

《不死門》の隣にある岩山《昆虫山脈》。山頂には井戸とポンプが置かれ、四つん這いになって井戸を目指す人間を、水を求めて山を這い登る昆虫に見立てている 

 次に現れたのは巨大な地図にサンドイッチされたような形状の《極限で似るものの家》。中の通路は狭く、迷路のように入り組み、薄暗い。複雑に交差する壁には、ソファやトイレ、ガス台がめり込んでいる。竜巻にのみ込まれた家のようで、ここに住むのは……さすがにないなと思った。

岐阜県の形をした屋根と岐阜県の地図が描かれた床が特徴的なメインパビリオン《極限で似るものの家》。荒川+ギンズによる新しい「家」の提案で、ここでは「もうひとりの自分が生まれる」という。新しく生まれた自分は、場所と自分が生み出したものであるため、肉体がなくなってもこの場所が存在する限り生き続ける。彼らがたどり着いた「永遠」の形のひとつだ
 中は迷路のようで、床に置かれたキッチンやソファなどの家具と同じものが、天井にも取り付けられている (写真上下)

 ちなみに「天命反転」はもともと英語がオリジナルの言葉で、REVERSIBLE DESTINY(リバーシブル・デスティニー)である。「リバーシブル」と聞くと、10年前に買ったリバーシブルコートを思い出す。あのコートは一度も裏返して着なかったなとちょっと反省。コートを反転させることすら面倒くさがる私が、宿命を反転させることができるだろうか。大いに不安である。

 改めて「皆様により楽しんでいただくために」と書かれた公式リーフレットを取り出した。実は、園内のそれぞれの場所には、反転効果を促進するための「使用法」が提案されている。たとえばこの家ならば次のようなものだ。

「自分と家とのはっきりした類似(点)を見つけるようにすること。もし出来なければこの家が自分の一卵双生児と思って進むこと」

 類似点? どうしよう、思いつかない。仕方なく「家と私は一卵性双生児だ」と思い込みながら歩みを進める。あれ、さっきここ通ったかも、と思いふと上を見ると、天井近くに同じデザインのソファやベッドが浮かんでいた。その瞬間、重力がぐるりと反転して、気分は不思議の国のアリスである。これらの家具もまた上と下で一卵性双生児なのかも。だからなんだ? と言われると答えはないけど。

 うねうねとした《死なないための道》を歩きながら、考えていた。果たして私自身は、「死」という宿命を覆したいだろうか? 死は怖いけれど、人生は永遠ではない、と思う方が懸命に生きられる気もする。

《死なないための道》を歩いて、《楕円形のフィールド》へ。このエリアにある9つのパビリオンは、《極限で似るものの家》を9つのパーツに分割したもの。ここでもツインのアイデアが採用されている。また、各パビリオンには、効果的に体験するための「使用法」がある

 いよいよ園の核心部の《楕円形のフィールド》に入った。すり鉢状の大地の斜面に傾いた構造物がパラパラと点在する。隕石がぶつかって建物が飛び散ったあと、長い時間が経過したような風景だ。全体としては調和がとれていて、絵画的な美しさにも満ちている。奇妙に手の込んだ絶景を目の前にして疑問が湧いた。

 斜面にある《精緻の棟》では、目の錯覚を利用した写真が撮れるが、これは使用法ではない
 《陥入膜の径》の使用法は「その周辺を通ったりする時は、目を閉じること」。足元が安定しないので注意が必要だ
 黄色い入り口が目を引く《地霊》は塹壕のような造り。使用法は「地図上の約束を忘れること」。この「使用法」の意図とは何なのか、「今月の本」でも考察されているのでご一読を

 そもそも、荒川+ギンズはなぜ「死なないこと」にこだわったのだろう。

《楕円形のフィールド》を見渡す。約18,000㎡に及ぶ広大な敷地から、水平、垂直な線は極力排除され、至る所に人間の平衡感覚や遠近感を混乱させる仕掛けが施されている

『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ 天命反転する経験と身体』は、二人の思考に迫る一冊である。冒頭には建築家の磯崎あらたによる文章も掲載されており、それによると荒川+ギンズはもともと「天命反転」をテーマにしていたが、9.11後さらに「死なないために」プロジェクトに熱中していったらしい。

[今月の本]
三村尚彦、門林岳史=編著
22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ
天命反転する経験と身体
 (フィルムアート社)
「人間は死なない」──死と生命をめぐる独自の発想と思考から、数多くの鮮烈な言葉を残した芸術家・建築家の荒川修作+詩人のマドリン・ギンズ。哲学、建築、美術、心理学、教育学などさまざまな分野で活躍する執筆陣が、人間の運命に戦いを仕掛けた荒川+ギンズの思考に迫る一冊。展覧会など近年のプロジェクトも包括的に紹介 
*本文中太字の箇所が本書からの引用です

「彼らは長く、詩、絵画、彫刻、物体、映画、設置、写真、あらゆる媒体を使って何ものかを表現してきた。建築家の私に向かって、これこそが建築だと主張した。私はその論の大部分に同意できる。だが最後の一点が謎のようでいつも理解できなかった。なにしろ通念となっている芸術の表現形式から、遠くはずれている。二人だけで暗黒の世界に踏み込んでいるのだ」

 本書では、多くの識者や二人と交流のあった人々が作品やコンセプト、人となりについてさまざまな角度から論じている。多くが、ミステリーを解くような、迷い道を案内するような文章だ。それを読んでわかるのは、磯崎が「暗黒」と呼んだ最後のレイヤーまで到達するのは容易ではないということだ。もしかしたら、初心者はいろいろ考えずに、まず体験してみるのがよいかもしれない。
      
《楕円形のフィールド》に散らばるパビリオンには、《宿命の家》《地霊》《白昼の混乱地帯》《もののあわれ変容器》などの謎めいた名前がついている。これがまた、どのパビリオンにも簡単には行き着けない。道が途絶えたり、急すぎて登れなかったり。息を弾ませて登ったり降りたりするうちに、知覚も平衡感覚もおかしくなってきた。

 再びリーフレットを開き、とるべき行動を確認する。よし、頑張ろう。

 そして、夢遊病者のように歩いたり、地図上の制約を忘れたり、後ろ向きに歩いたり。たくさん体を動かしたおかげで、長年眠っていた筋肉や細胞が目を覚ましたようだ。クタクタなのに気分もいいし、不思議なほど元気だった。

 最後に、高い山の尾根のような道に出た。遥かな山々を望みながら、《楕円形のフィールド》を俯瞰できる。足元には世界の街が描かれていて、地球の裏側まで続く道にも見えた。

数時間かけて養老天命反転地を体験した川内さん。非日常の空間で、新しい自分は生まれただろうか?

 荒川とギンズは、すでにこの世を去っているが、二人の死自体は、人類が宿命から逃れられないことを証明するものではない。実験場と思想はこの地に残され、可能性は未来の人々に託されたのだ。

 旅していけば、誰だってこの実験に参加することができる。ものは試し、人生という旅路のどこかで、ちょっと立ち寄ってみるのはいかがだろうか?

体を動かしたあとは肉で栄養補給!焼肉店が軒を連ねる養老町。県道56号・南濃関ヶ原線は「養老焼肉街道」と呼ばれ、沿道の各店では飛騨牛をはじめとした和牛がリーズナブルな価格で味わえる。1979(昭和54)年創業の「山びこ」にて、絶品の飛騨牛焼肉に舌鼓を打つ(写真上下)

文=川内有緒 写真=荒井孝治

【編集部より】
川内有緒さんのホンタビは今回で最終回です。
2年間ご愛読いただき、ありがとうございます!!

養老天命反転地
☎0584-32-0501(養老公園事務所)
岐阜県養老郡養老町1298-2(養老公園内)
[時]9時~17時(最終入場16時30分)
[休]火曜(祝日の場合はその翌日)、年末年始
[料]大人770円ほか
https://www.yoro-park.com/

山びこ

☎0584-32-0563
養老郡養老町石畑94-6

川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家に。『バウルを探して』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)など著書多数。

出典:ひととき2023年10月号

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