[最終回]宿命を反転させる旅 (岐阜県養老郡養老町)|ホンタビ!文=川内有緒
人間にとって「死」は宿命である。死なない生き物はいない。それが現代の常識ですよね? いや、そうとも限らないと言われたら驚かないですか? 実は「死」という生命の宿命を覆すための壮大な実験場が岐阜県にある。その名も養老天命反転地。作者はアーティストの荒川修作+マドリン・ギンズ(以下荒川+ギンズ)。よおし、いっちょう私も宿命を反転させようではないか、と養老の地にやってきた。
短く言ってしまえば、ここは「死なないこと」を目指す体験型アート。養老山地を背景にした広大な敷地には、まず「記念館」なる建物がある。もともとは管理事務所として設計された建物だそうだが、実際に事務所として使用されたのは、数カ月間だけ。まあ、それも無理ない。一応大きな備え付けデスクもあるが、部屋のほとんどは傾斜のある立体迷路のようなものが占めている。ここが自分のオフィスだったら……と想像しながら椅子に座る。視界がカラフルで、外への出入り口もたくさんあり、楽しいかも。仕事が捗るかは別だけど。
記念館の先がいよいよ本番。《不死門》というゲートがあり、脇には巨石がゴロゴロと積まれた山がそびえる。滑って転んだら痛そうなので、慎重に一歩ずつ登る。頂上には井戸と手押しポンプがあった。汗ばんだ手に冷たい水が気持ちいい。
次に現れたのは巨大な地図にサンドイッチされたような形状の《極限で似るものの家》。中の通路は狭く、迷路のように入り組み、薄暗い。複雑に交差する壁には、ソファやトイレ、ガス台がめり込んでいる。竜巻にのみ込まれた家のようで、ここに住むのは……さすがにないなと思った。
ちなみに「天命反転」はもともと英語がオリジナルの言葉で、REVERSIBLE DESTINY(リバーシブル・デスティニー)である。「リバーシブル」と聞くと、10年前に買ったリバーシブルコートを思い出す。あのコートは一度も裏返して着なかったなとちょっと反省。コートを反転させることすら面倒くさがる私が、宿命を反転させることができるだろうか。大いに不安である。
改めて「皆様により楽しんでいただくために」と書かれた公式リーフレットを取り出した。実は、園内のそれぞれの場所には、反転効果を促進するための「使用法」が提案されている。たとえばこの家ならば次のようなものだ。
「自分と家とのはっきりした類似(点)を見つけるようにすること。もし出来なければこの家が自分の一卵双生児と思って進むこと」
類似点? どうしよう、思いつかない。仕方なく「家と私は一卵性双生児だ」と思い込みながら歩みを進める。あれ、さっきここ通ったかも、と思いふと上を見ると、天井近くに同じデザインのソファやベッドが浮かんでいた。その瞬間、重力がぐるりと反転して、気分は不思議の国のアリスである。これらの家具もまた上と下で一卵性双生児なのかも。だからなんだ? と言われると答えはないけど。
うねうねとした《死なないための道》を歩きながら、考えていた。果たして私自身は、「死」という宿命を覆したいだろうか? 死は怖いけれど、人生は永遠ではない、と思う方が懸命に生きられる気もする。
いよいよ園の核心部の《楕円形のフィールド》に入った。すり鉢状の大地の斜面に傾いた構造物がパラパラと点在する。隕石がぶつかって建物が飛び散ったあと、長い時間が経過したような風景だ。全体としては調和がとれていて、絵画的な美しさにも満ちている。奇妙に手の込んだ絶景を目の前にして疑問が湧いた。
そもそも、荒川+ギンズはなぜ「死なないこと」にこだわったのだろう。
『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ 天命反転する経験と身体』は、二人の思考に迫る一冊である。冒頭には建築家の磯崎新による文章も掲載されており、それによると荒川+ギンズはもともと「天命反転」をテーマにしていたが、9.11後さらに「死なないために」プロジェクトに熱中していったらしい。
「彼らは長く、詩、絵画、彫刻、物体、映画、設置、写真、あらゆる媒体を使って何ものかを表現してきた。建築家の私に向かって、これこそが建築だと主張した。私はその論の大部分に同意できる。だが最後の一点が謎のようでいつも理解できなかった。なにしろ通念となっている芸術の表現形式から、遠くはずれている。二人だけで暗黒の世界に踏み込んでいるのだ」
本書では、多くの識者や二人と交流のあった人々が作品やコンセプト、人となりについてさまざまな角度から論じている。多くが、ミステリーを解くような、迷い道を案内するような文章だ。それを読んでわかるのは、磯崎が「暗黒」と呼んだ最後のレイヤーまで到達するのは容易ではないということだ。もしかしたら、初心者はいろいろ考えずに、まず体験してみるのがよいかもしれない。
《楕円形のフィールド》に散らばるパビリオンには、《宿命の家》《地霊》《白昼の混乱地帯》《もののあわれ変容器》などの謎めいた名前がついている。これがまた、どのパビリオンにも簡単には行き着けない。道が途絶えたり、急すぎて登れなかったり。息を弾ませて登ったり降りたりするうちに、知覚も平衡感覚もおかしくなってきた。
再びリーフレットを開き、とるべき行動を確認する。よし、頑張ろう。
そして、夢遊病者のように歩いたり、地図上の制約を忘れたり、後ろ向きに歩いたり。たくさん体を動かしたおかげで、長年眠っていた筋肉や細胞が目を覚ましたようだ。クタクタなのに気分もいいし、不思議なほど元気だった。
最後に、高い山の尾根のような道に出た。遥かな山々を望みながら、《楕円形のフィールド》を俯瞰できる。足元には世界の街が描かれていて、地球の裏側まで続く道にも見えた。
荒川とギンズは、すでにこの世を去っているが、二人の死自体は、人類が宿命から逃れられないことを証明するものではない。実験場と思想はこの地に残され、可能性は未来の人々に託されたのだ。
旅していけば、誰だってこの実験に参加することができる。ものは試し、人生という旅路のどこかで、ちょっと立ち寄ってみるのはいかがだろうか?
文=川内有緒 写真=荒井孝治
出典:ひととき2023年10月号
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