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日本人の心を揺さぶる“朽ちの美”|花の道しるべ from 京都

花にまつわる文化・伝統芸能などを未生流笹岡・華道家元の笹岡隆甫さんがひもとく連載コラム『花の道しるべ from 京都』。第26回は“朽ちの美”についてです。笹岡さんは以前、「いけばなの“朽ちの美”を映像で表現してほしい」と依頼された際、通常のいけばなでは花が朽ちる様を見せることがないため、躊躇ためらいがあったと言います。その時にひらめいたこととは。

水落ちして変色した蓮の枯れ葉には、独特の存在感がある。金属製の舟形花器に枯れ葉を立ち上げ、そこに明るい色合いの秋草を添えてみた。明暗の対比で、枯れた葉の存在感が一層際立った。

枯れた蓮の葉が際立ついけばな作品

古来、蓮には「三世さんぜ」と呼ばれるいけ方が伝えられている。三世とは現在、過去、未来の意。高さの異なる3本の枝で構成するのだが、丸く開いた葉、朽ち葉、そして「角葉つのば」と呼ばれる開く前の巻き葉の3種を合わせいけ、それぞれが、現在、過去、未来を象徴する。ちなみに、3本の花で三世を表現する場合は、開いた花が現在、花弁が落ちた後に残る花托かたく(蓮の実がおさまる蜂の巣のような部分)が過去、蕾が未来を表す。いずれにせよ、一瓶のいけばな作品に、過去から未来までの時間経過を秘めるわけだ。特に、朽ちて破れた葉や花びらがなくなった花托までが花材として用いられるのが興味深い。

「朽ちの美」は古くから、日本人の心を揺さぶるものだったのだろう。私たちは、蕾だけをしょうがんするのではなく、満開の花だけを賛美するのでもない。散りゆく桜花を愛おしみ、そのはかなさに時には涙を流しつつ、翌年の桜花を待ち望む。苔むした庭に落ちた真っ白な夏椿の花に目をとめ、そこに新たな美を見出す。日本人は、ちょうらくにこそ、命の尊さを見るのかもしれない。

[琳派400年記念]プロジェクションマッピングでいけばなの「朽ちの美」を表現

琳派400年記念の年に、「朽ちの美」をテーマにした試みに挑戦した。京都国立博物館でのプロジェクションマッピングに、映像を担当された京都大学の土佐尚子教授*からお声がけいただいたのだ。尾形光琳の「紅白梅図屏風」や「燕子花かきつばた図屏風」を連想させるいけばなを映像でご覧いただくことになった。但し、美しく咲き誇る様だけではなく、「朽ちの美」を表現してほしいというご要望だった。

*テクノロジーをアートに取り入れるメディアアーティスト。

京都大学の実験室で液体窒素の中に花を浸ける。凍った花を数秒でいけあげ、いけた花の茎にエアガンで弾を当てる。茎が振動して花弁が落ちる瞬間を、ハイスピードカメラで撮影。肉眼で見ると撃ってすぐ、一瞬で花弁は落ちてしまうのだが、8秒の映像を3分に引き伸すと、花弁がはらはらと舞うように散る様が見えてくる。

このプロジェクトにお声がけいただいた際、しばし逡巡しゅんじゅんした。花が可哀そうだとクレームが出る、異端扱いされるのではないかと、躊躇したのだ。いけばなでは「蕾がちにいけよ」が原則で、通常は蕾から開いていくまでの移ろいを見せる。だから、開き過ぎた花は取り去る。朽ちる様を不特定多数の方にご覧いただかないのは、その花を見ることで痛々しい気持ちになることを避けるための配慮だ。しかし、花をいけた華道家は、盛りを過ぎた花を持ち帰り、その花が朽ちるところまで世話をする。朽ちる様を目にするからこそ、花の命を肌で感じ、その美しさを極限まで引き出したい、そしてその美を少しでも長く留めたいと願う。実は、朽ちた花を見ることで学ぶことは多い。

尾形光琳の「燕子花かきつばた図屏風」を連想させる燕子花の映像

そんな時、ある一枚の絵を思い出した。それは、退蔵院襖絵プロジェクト*を担当していた村林由貴さんが、習作として墨で描いた崩れた牡丹の花。その絵の横には、崩れた牡丹の鉢が実際に置いてあったのだが、生で見ていると黒ずんでいるし、臭いも悪く、痛々しい気持ちになる。しかし、それを日本画というフィルターを通して見ると、なぜか美しく見えた。もっと言えば、新たな命を付加したように見えたのだ。今回の試みでも、映像というフィルターを通すことで、「朽ちの美」が表現できるのではないかと考えた。実際、満開の花を凍らせて散らすことで、桜吹雪のように美しいまま散る風情を表現することができた。

*2011年に文化財の保全と若手育成、文化遺産をのこすことを目的に始まったプロジェクト。絵師の村林由貴さんがお寺に住み込み、修行経験を経て、2022年5月に76画の襖絵が奉納された。

京都国立博物館の壁面にうつしだされたプロジェクションマッピング
イベント期間中に会場に展示されたいけばな作品

この映像作品は、本当に大勢の皆様にご覧いただき、概ね好評を得た。私の耳には届いていないが、それでもやはりご批判はあったと思うし、失敗だとおっしゃる方もいるだろう。挑戦のほとんどは失敗に終わるのだろうが、100の失敗の後で、1つでも成功が生まれれば儲けものだ。

桜散る こぼるる梅に 椿落つ 牡丹崩れて 舞うは菊なり*

*古来より使われてきた、花の終わりを表す言葉

朽ちの美。年を重ねるごとに、ますますその美しさに魅入られている。

文・写真=笹岡隆甫

▼京都国立博物館での琳派400周年記念プロジェクションマッピングの様子(笹岡さんの燕子花の映像が現れるのは4:50)

笹岡隆甫(ささおか・りゅうほ)
華道「未生流笹岡」家元。京都ノートルダム女子大学客員教授。大正大学 客員教授。1974年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。2011年11月、「未生流笹岡」三代家元継承。舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求し、2016年にはG7伊勢志摩サミットの会場装花を担当。近著に『いけばな』(新潮新書)。
●未生流笹岡HP:http://www.kadou.net/
Instagram:ryuho.sasaoka
Twitter:@ryuho_sasaoka

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