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小泉八雲に衝撃を与えた仙洞御所の庭園|偉人たちの見た京都

偉人たちが綴った日記、随筆、紀行を通してかつての京都に思いを馳せ、時代を超えて人々を惹きつける古都の魅力をお伝えする連載「偉人たちの見た京都」。第5回は、ギリシャ生まれの作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「京都紀行」です。世界各国を転々とした八雲ならではの視点で、京都仙洞御所の庭園と出会った時の衝撃と感動が綴られています。

 1895(明治28)年10月23日。平安遷都1100年記念の時代行列が挙行される前日。『怪談』の著者として知られる作家・日本研究者の小泉八雲(Lafcadio Hearn)は、当時住んでいた神戸から、朝の一番汽車に乗って京都を訪れました。この時に行なわれた行列こそ、今に続く「時代祭」の始まりとなります。

ハーン肖像1889

小泉八雲/写真提供 小泉八雲記念館

 1850年にイギリスの保護領であったレフカダ島(現在はギリシャの領土)に生まれた小泉は、1890年に来日。日本で英語教師の職を得ます。後に日本に帰化する小泉は、教え子たちからは「ヘルン先生」と呼ばれ、松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら英語教育に尽力。日本文化を海外に紹介する著作を数多く執筆します。

 京都に到着した小泉は、先ごろ公開されるようになったばかりの「仙洞御所」の庭園を訪問しました。彼にとって、この庭園との出会いは衝撃的なものとなります。その感動を記した「京都紀行」の一部を、小泉の松江中学、東京帝大での教え子だった英文学者の落合貞三郎(1875-1946)の訳で紹介しましょう。

それは仙洞御所の庭と呼ばれている(仙人という語に真に適当する英語がないから、少なくともgeniiという語が、翻訳にあたって、用い得らるる唯一の語である。仙人は不滅の生命を有し、森林洞窟に住むものと思われている。インドのRishiが日本において、あるいはむしろ中国において神話的変化を経たのである)。 その庭園は名にふさわしいものであった。私は実際神仙の幽境へ入ったように感じた。

それは山水の景を模した庭園である。――仏教のために創造されたものである。昔は世俗的虚栄にいた帝王や、皇子逹のために宗教的隠遁所として建てられたる僧院が、今は単に御所となっているのである。この庭園はそれに付属している。

「仙洞」とは仙人の住む洞という意味。「仙洞御所」とは退位した天皇(上皇)の住む御所を指します。京都仙洞御所は京都御所の南東に位置し、1630(寛永7)年に後水尾上皇のために造営されました。

 もともとこの地には豊臣秀吉の屋敷があったと伝えられています。造営された仙洞御所の南西部には、上皇の住まいとなる御殿が建てられていましたが、江戸時代の末期の1854(嘉永7)年に火災で焼失してしまいます。

①京都仙洞御所正門(西より)(7

京都仙洞御所正門

 小泉が訪れた時も御殿はなく、東側に大きな池を中心にした庭園が広がっているばかりでした。庭園の印象を小泉はこう表現します。

門を入ってから受ける印象は、大きな古いイギリスの公園という印象である。巨大なる樹木、短く刈られた芝生、広い歩道、青々たる草木の新鮮で心地よい香りは、すべてイギリスの思い出を与える。

しかし、もっと進んで行くにつれて、これらの思い出は次第に消されて、真正の東洋風な印象が判然としてくる 。それらの巍然ぎぜんたる喬木は、ヨーロッパのものでないことが認められ、さまざまの驚くべき異国的な細部が現れてくる。

小さな島がその中に浮かんで、すこぶる奇異な形の橋で連結されている。

①南池・洲浜(紅葉)(9.7MB)

京都仙洞御所・南池州浜(写真は紅葉時)

徐々そろそろと――ただ徐々と――この境地の無限なる魅力、怪奇なる仏教的魅力が身に迫ってくる。して、その非常に古いという感じは、ついにかの畏怖の悚動しょうどうをもたらす審美感の琴線に触れた。

 現在の仙洞御所の参観コースでは、隣接する京都大宮御所の南庭にある御庭口から庭園に入りますが、この時の小泉は仙洞御所正門から入ったと推察されます。正門から入ると直に池は見えず、しばらく広い道が続きます。やがて南池が見えてきて、中島に続く八ツ橋と反橋も目に入ってきました。

②南池中島(紅葉)(6.4MB)

京都仙洞御所・南池。中央に中島があり、左の橋が八ッ橋で右が反橋

単に人間の仕事として考えただけでも、この庭は驚異である。その設計における巨岩の骨格だけを結合するのにも、数千人の熟練なる労働をまって、はじめてなったのであろう。

この庭は一たび形が作られ、土を盛られ、樹木を栽培されてから、その後は自然がその奇跡を完成するままに委せてあった。(略)初めから人の手に触るることなく自然のままで保護されて、しかも旧都の中心に世間から隔絶している原始林の一部という趣を呈している。

 仙洞御所の庭園は回遊式の庭で、どの方向を眺めても池泉や岩、樹木、苔などの自然が目に入るように設計されています。池は北池と南池とに分かれ、池の中島をさまざまな形状の石橋や土橋がつないでいます。

 この庭園は当初、作庭家として知られる小堀遠州によって作庭され、後に後水尾上皇により大改修されました。後水尾上皇は修学院離宮の庭園も造営。立花にも造詣の深い芸術家肌の人物だったといわれています。

 自分の隠遁の場所として造営した仙洞御所の庭園。そこには後水尾上皇の庭に対する強い思いがあったに違いありません。外界から隔絶された一つの小宇宙を実現させようとしたのでしょう。

岩石の表面、大きな怪異な樹根、林間の幽径、幾つかの古い一本石の碑など、すべて長い年代の苔を帯びている。して、攀登はんとう植物は一尺も厚さのある茎となって、巨蛇の如く梢隙しょうげきにかかっている。

 攀登植物とは、ツタなどつるや茎が他の物にからみついて伸びる植物のこと。長い年月を経て成長した茎が、まるで大きな蛇のように空中に垂れ下がっています。それを見た小泉は、かつて滞在したある場所を思い出します。

②八ツ橋(緑)(7

この庭のある部分は、鮮やかにアンティルズ群島*における熱帯的性質の光景を想起させる――もっともここには棕櫚や、驚くべき蛛網状をなせる攀援茎はんえんけい植物や、爬行はこう動物や、西インド森林の凄い日中の静けさはない。

訳注 アンティルズ群島* メキシコ湾の東南に羅列せる西インド諸島の一群。そこで二カ年滞在せられたヘルン先生の眼底には、熱帯植物の驚異が浸染しんぜんしていたので、先生の文章の中には、よく比較の材料になっている。

 もちろん、ここは京都の庭園。巻きひげや茎で絡みついてよじのぼる植物や爬虫類のいる、西インド諸島の熱帯林とはまったく違います。しかし、小泉にはどこか熱帯に通じる空気感をそこに感じたようです。

④八ツ橋(緑・アップ)(7

空ににぎわしく鳥が騒いでいるのには驚かされる。それはこの僧院の極楽に棲む野生動物は、未だかつて人間によって、危害や脅威を加えられたことがないということを、嬉しがって声明しているのだ。

私は恋々れんれん去るに忍び難くも、ついに出口に達したとき、この庭の番人を羨望するの念に堪えなかった。かような庭の奉公人となるだけでも、充分に望ましい特権というべきであろう。

 それだけではありません。小泉はよほど感動したのでしょう。仙洞御所の庭園の番人を「うらやましい」とすら言うのです。このような庭園で働くことができたら、それは特別な人にだけ与えられる優越的な権利だろうと。小泉八雲にここまで言わせた仙洞御所の庭園。なんとも見事なものではありませんか。

 京都仙洞御所の庭園は現在、宮内庁が管理を行なっており、申請すれば誰でも参観が可能です。しかも入園無料です! 静寂に包まれた仙洞御所は、1999年に財団法人日本交通公社によって、「美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」に選定されました。実際に訪問し、小泉の味わった感動を追体験してみたいものです。

出典=小泉八雲(Lafcadio Hearn)『仏の畠の落穂』「京都紀行」(落合貞三郎訳)
写真提供=宮内庁京都事務所

京都仙洞御所
参観は下記ホームページより要申込
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sento.html
庭園内の地図はコチラ

文=藤岡比左志

藤岡 比左志(ふじおか ひさし)
1957年東京都生まれ。ダイヤモンド社で雑誌編集者、書籍編集者として活動。同社取締役を経て、2008年より2016年まで海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」発行元であるダイヤモンド・ビッグ社の経営を担う。現在は出版社等の企業や旅行関連団体の顧問・理事などを務める。趣味は読書と旅。移動中の乗り物の中で、ひたすら読書に没頭するのが至福の時。日本旅行作家協会理事。日本ペンクラブ会員。

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