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教えて!京都のタイルと建築の話(中村裕太さん×倉方俊輔さん)

京都の街を歩くと、随所で目にする明治時代以降の名建築。そんなレトロ建築の外観・内観を彩り、それぞれに趣ある存在に仕立てている建材がタイルです。建築史家の倉方くらかた俊輔さんと、美術家の中村裕太さんのおふたりに、京都の建築とタイルが歩んだ歴史、そして京都ならではのタイルとその魅力について、うかがいました。(ひととき2022年4月号特集マガジン「京都――タイルと建築、100年の物語」
文=橋本裕子 写真=荒井孝治

中村裕太(なかむら・ゆうた/写真左)
京都精華大学准教授。1983年、東京都生まれ、京都在住。京都精華大学芸術研究科博士後期課程修了。博士(芸術)。
倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)
大阪市立大学教授、建築史家。1971年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。主な著書に『京都 近現代建築ものがたり』(平凡社新書)、『東京レトロ建築さんぽ』(エクスナレッジ)など。

[Q1]京都が近代建築の宝庫なのはどうして?

倉方 平安京が築かれた794(延暦13)年から、東京に遷都される1869(明治2)年まで、京都は日本の政治・文化の中心地でした。ところが天皇が東京に居を移すと、京都の人口は激減。経済も低迷期を迎えます。しかし、1880年代からのようぎょうや繊維業をはじめとした近代産業の振興によって、京都は近代都市として再生への道をたどっていくのです。

 1890(明治23)年には琵琶湖疏水*が完成し、その5年後には日本初の路面電車が街を走るようになります。メインストリートだった三条通には、京都郵便電信局(現なかぎょう郵便局)や日本銀行京都支店(現京都文化博物館別館)など、煉瓦造の近代建築が次々と建てられました。

琵琶湖疏水*  琵琶湖の水を京都へ運ぶ水路。水車動力や舟運、水力発電と多目的に利用され、京都の近代化を加速させた

 京都は、日本のほかの主要都市と比べて、それほど大きな空襲の被害を受けませんでした。そのため、今でも明治時代以降に建てられた近代建築が多く見られます。歴史的な神社仏閣や町家が立ち並ぶ景観にも馴染なじむよう、和風と洋風とを取り混ぜた建物が見られるのも、この街の魅力のひとつですね。

[Q2]なぜタイルが使われるようになったの?

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レトロなビルのファサードや銭湯の浴場を飾る「タイル」。どこかノスタルジックな趣のあるこの言葉が使われはじめたのは、ちょうど100年前のこと…

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