空海の見た蒼 安田 登(下掛宝生流能楽師)
旅には列車を使うことが多い。それは途中下車ができるからだ。能は、旅人がその途次で古人の霊と出会って物語が始まるが、霊との邂逅は目的地に着く前の寄り道で起こることが多い。
能の役者にはシテとワキというふたつの役割があり、霊の役をするのはシテと呼ばれる役者で、こちらが主人公だ。そして、旅人の役をする役者をワキという。私はワキ方に属する役者なので、ふだんの旅でもよく寄り道をする。
高松市(香川県)で能の公演があった。新幹線で岡山まで行き、まずここで途中下車して吉備津彦神社に参詣する。それから瀬戸大橋を渡る列車に乗って、四国に入る。
四国といえば空海だ。密教を日本にもたらした真言宗の開祖だが、空海の業績はそれだけにとどまらない。能書家や名文家としても広く知られ、その書や文章は日本だけでなく、中国でも高く評価されている。また、満濃池(香川県まんのう町)の修築などの土木事業にも優れ、綜芸種智院(京都市)などの万人に向けた教育施設を開設したりもした。
弘法大師の旧跡は日本全国にある。その多くは伝説だが、そんな伝説ができたのは空海が日本中を歩いたからだろう。空海こそ歩く僧、すなわち能のワキの始祖ともいえる人なのである。
現代人の私たちが、そんな空海と一緒に旅をするのが四国遍路だ。お遍路さんの笠などには「同行二人」と書かれる。常に空海と一緒にその足跡を訪ねて巡礼をするという意味だ。
今回は空海の誕生の地を訪ねてみたいと思った。
空海誕生の地といわれる場所はいくつかあるが、もっとも有名なのは善通寺(香川県善通寺市)だ。ここは父である佐伯氏の寺である。
しかし、空海が生まれたのは奈良時代、子どもは母の里で生まれた可能性が高い。母の里は父の里から海の方に向かった多度津町にある。
空海の幼名は「真魚」、真実の魚。海に関連した名前だ。また、最澄に宛てた手紙である「風信帖」などに書かれる空海自身の署名の「海」という字は、上に「毎」、下に「水」という書体で書かれる。「毎」とは髪飾りを付けた母の姿である。それに水、すなわち海。空海にとっては海辺の母の地は特別だったのであろう。
そこで、母の土地を訪ねると、屏風ヶ浦海岸寺というお寺があった。お寺の庭に立てば、母のように穏やかな海が望まれる。その上には果てしない蒼穹が広がる。
空と海、「空海」だ。
自然に呼吸が深くなる。能『葵上』で覚えた不動明王の真言を低く唱える。
海岸寺には、赤ちゃんの空海の産湯に使ったといわれる石製の「弘法大師御産盥」もある。ご住職に「ここを空海生誕の地といってもいいでしょうか」と聞くと「いえいえ、出生産屋跡とお伝えください」という。どこまでも控え目なご住職である。
文= 安田 登 イラストレーション=駿高泰子
出典:ひととき2024年4月号
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