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景教碑を求めて 小田光雄(評論家、翻訳家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2020年5月号「そして旅へ」より)

 近年の暴落といっていいほどの古書価の安さもあって、以前には入手できなかった美術全集も、場所をとることは変わらないけれど、容易に買えるようになった。そのひとつが1980年代前半に刊行された『日本古寺美術全集』(全25巻、集英社)で、かつて20万円の古書価がついていたが、それがわずか5千円で売られていたのである。

 私は空想旅行者的な資質が強く、このような「超ワイド版」の古寺と美術を堪能する機会を得ると、実際に旅して、それらを見た気になってしまう。今回も一度は訪れてみたいと思っていた高野山と金剛峯寺が収録された一巻も含まれていたので、それで満足するはずだった。ところがずっと見たいと考えていたものが掲載されていなかったことから、今回は逆に高野山に出かけなければと決意してしまったのである。それは高野山の奥之院に見出されるはずだ。

 妻に高野山への旅程を調べてもらうと、新幹線で浜松から新大阪に向かい、そこからなんばに出て、高野山に至るという。1泊の宿坊は遍照光院と決め、1日目は金剛峯寺などをたどり、2日目に奥之院の入口近くにある景教碑と対面することにした。

 この景教碑は正式には「大秦景教流行中国碑」と呼ばれ、唐におけるキリスト教ネストリウス派の教義と歴史が刻まれたもので、キリスト教と仏教の接触の証明とされる。これは景教=ネストリウス派が弾圧され、800年間にわたって埋められていた碑であり、そのレプリカが英国人のエリザベス・アンナ・ゴルドン夫人によって、1911年(明治44年)に高野山に建立された。

 ゴルドン夫人は宗教学者で、『弘法大師と景教』(高楠順次郎訳、丙午出版社、1909年)を著し、弘法大師と景教の関係、及び「仏耶一元論」に言及している。彼女は19年に再来日し、それ以後の6年間、京都ホテルにこもって研究を続け、そこで25年に享年74でひっそりと亡くなっている。

 その景教碑と他ならぬゴルドン夫人の墓が、奥之院を入ったところに並んで建立されていた。ようやく実物を目にすることができたのである。景教碑は予想以上に大きく、高さは2メートル50センチ以上ある。それは亀の背の上に聳え立ち、思わず浦島太郎伝説を連想してしまう。

 上部に記された「大秦景教流行中国碑」ははっきり読み取れるが、景教の教義と歴史を刻んだとされる文字は経年変化もあってか、ほとんど読むことができない。だがこれは拓本を入手しているので、問題はない。

 それでも墓のほうは「英国イ、エ、ゴルドン夫人之墓」と「密厳院自覚妙理大姉」なる戒名が鮮やかで、この墓碑が生前の彼女のデザインであったことを想起させてくれる。

 八葉蓮華の台に載る丸石は大光明=遍照の大日を象徴するもので、あらためて宿坊も遍照光院だったことを重ね合わせてしまう。写真も多く撮ったので、この景教碑とゴルドン夫人の墓碑を、いずれ自著のカバー写真として使うことができたらと思う。

文= 小田光雄 イラストレーション=林田秀一

小田光雄(おだ みつお):1951年、静岡県生まれ。評論家、翻訳家。『〈郊外〉の誕生と死』 (論創社)、『図書館逍遥』(編書房)、『ヨーロッパ 本と書店の物語』(平凡社新書)など著書多数。2019年、『古本屋散策』(論創社)で第29回ドゥマゴ文学賞を受賞。

出典:ひととき2020年5月号


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