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海からたどる古代の道 角幡唯介(探検家・作家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2022年12月号「そして旅へ」より)

 八年前にグリーンランドの探検で必要となりカヤックをはじめた。今も、いつかまた極地の大きな川か海で……という思いがあり、自宅のある鎌倉の海でトレーニングをつづけている。

 パドリングは動きがシンプルなだけに奥が深く、一人前になるには何千キロも漕がないといけない。この、あらたな能力が身体にそなわってゆく感覚が不思議なほど面白い。

 しかしもっと面白いのは、やはり旅である。カヤック旅の魅力はふつうの陸上の旅とちがった視点を得られることだ。陸上で海岸をたどるときに見えるのは海だが、カヤックに乗ると陸が見える。当たり前といえばそれまでだが、でもその陸は、陸上からは見えない陸なのである。普段とはちがう陸のきわに沿って移動することで、陸の新しい風貌を発見することができる。この感覚はとても新鮮だ。

 まだ初心者だった頃、カヤックを教えてくれたガイドのおお志郎さんのツアーに参加させてもらい、境港から出雲まで島根半島をまわったことがある。この旅はとても印象的だった。どこか懐かしく、伝統的な家屋がたちならぶ小さな集落に海から近づく感覚は、舗装された道を車で訪れるのとはまったく別種の旅のよろこびがあったのだ。

 あの感覚は何だったのか。今になって思えば、島や半島をめぐる旅では陸上の道より海の道のほうが自然だ、ということなのかもしれない。古代に集落ができたとき、人々は海を移動し、舟を寄せやすい場所に住みついたはずだ。カヤックで集落に近づくことはその疑似体験であり、その集落のもっとも自然な姿に接していたのかもしれない。

 島根半島といえば神話の舞台でもある。数多くのかいしょくどうがあり、有名な加賀のくけをはじめとしていくつかの洞穴をカヤックでまわった。観光遊覧船も出ているらしいが、カヤックで訪問したことで、そこには、機械音や観光客の喧噪とは無縁の、潜戸本来の静寂さがあった。静寂のただよう洞穴の暗闇の先にさしこむ、出口の円形の光。それは太陽である。パドルを動かすときに感じる潮の抵抗が、太陽に向かうという感覚と共鳴する。

 歴史的に厳かな土地が次から次へとあらわれ、それが自然な海の道により連結される。そして最後は出雲大社に向かう。そこには目的地を車でまわるぶつ切りの観光旅行では得られない、何というか、もっと大きなこの半島の風土のなかを旅している感覚があった。海をたどることは、土地がつくられた始原に触れることであり、大げさにいえば、この国の創生の現場をたずねることだったのかもしれない。

 残念ながらこの数年はカヤックの旅を実践できていない。コロナは全然関係なくて、本業である北極探検や登山活動が忙しすぎるためだ。紀伊半島に三陸海岸に瀬戸内海、漕ぎたい場所はいくらでもあるのだが……。

 身体があと三つ欲しい。

文=角幡唯介 イラストレーション=駿高泰子

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
探検家・作家。1976年、北海道生まれ。早稲田大学卒業。大佛次郎賞受賞の『極夜行』(文藝春秋)など著書多数。近著は『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)。

出典:ひととき2022年12月号

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