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お菓子の島、平戸へ|長崎 異国菓子ものがたり

シュガーロードの出発点であり、砂糖をたっぷり使った贅沢な菓子が次々に生まれた長崎。なかでもいち早く菓子文化が開いた土地が、本土最西端の平戸島でした。平戸を治めた松浦家29代当主・まつ鎮信しげのぶのうち立てた、武家茶・鎮信ちんしんりゅうと共に発達した平戸の菓子文化。異国から影響を受けた菓子文化が今も大切に受け継がれる平戸島へ、甘美な旅へと出かけます――。ひととき2023年3月号特集より)

 平戸は「お菓子の島」だ。はるかな歴史に育まれた、甘い記憶にたゆたう島。

 それは砂糖の記憶である。平戸の菓子はとろけてしまいそうなほど、甘い。なぜならその甘さこそが、経済力と文化、そして先進性のあかしだったから。かつて砂糖は遠い外国から運ばれてくる、高価で貴重なものだった。400年以上もの昔にその砂糖を受け入れる玄関口になったのが、平戸だ。

 遣隋使・遣唐使のころから海外との重要な交通拠点だった平戸に、初めてポルトガル船が入港したのは1550年のこと。南蛮貿易の始まりである。戦国大名・まつ隆信たかのぶは積極的に交易を進め、平戸は国際貿易港として大いに繁栄した。大勢の外国人が町を自由に行き交い、さまざまなものがもたらされた──生糸や絹織物、象牙、ガラス製品といった珍しい品々。キリスト教とその宣教師。それからもちろん、砂糖。そして菓子。

江戸時代に東インド会社が設置し、1609年から41年まで存続した「平戸オランダ商館」を一部復元。館内では交易に関する史料を展示

 南蛮菓子と呼ばれたこの新しい菓子に平戸のひとたちはたちまち魅了された。カステラ、ビスケット、カルメラ、パン、有平糖ありへいとう──。見たことも聞いたこともない食べものだった。なにしろ材料はたっぷりの砂糖と小麦粉、それまで食べる習慣のなかった卵。これで菓子ができるなんて。

 やがてポルトガル船は去り、オランダ人やイギリス人も姿を消した。賑やかだった外国商館は壊され、外国との窓口は長崎の出島に移ってしまった。それでも平戸のひとたちは南蛮由来の菓子を作り続けた。

平戸オランダ商館で展示されているモンタヌスの『日本誌』(平戸市蔵)。17世紀の平戸オランダ商館が描かれているが、著者は日本未訪問で、想像で描いたとされる

 菓子の店が増え、江戸時代には「魚屋の次に菓子屋が多い」といわれるほどになった。平戸の独特で豊かな菓子文化は、こうして現代まで伝えられることになる。

松浦家御用菓子司を務めてきた老舗
平戸 蔦屋

 平戸の菓子といえば、まず「カスドース」だろう。卵黄にくぐらせ、糖蜜で揚げた黄金色のカステラに、まぶしつけられた砂糖がきらめく。

「菓子はその土地の文化の象徴だと思っています」

 ポルトガル人から伝えられて以来、400年以上カスドースを作り続ける平戸蔦屋の24代目当主・松尾俊行さんが熱を込める。

「平戸ではいわゆる和洋折衷が昔から当たり前でした。だから他のどこにもない菓子を作ることができるんです」

カステラに卵黄をからめ糖蜜で揚げるポルトガル伝来の銘菓「カスドース」 写真提供=平戸 蔦屋

 蔦屋が現在店舗を構えるのは、城下町の風情を感じさせる長い商店街のなかだ。「英国商館通り」に面し、ところどころに古い面影を残す家がたたずむ。蔦屋の建物もそのひとつで、元は廻船問屋だったという堂々たる商家である。

徳川家康の外交顧問として仕えた三浦按針〈あんじん〉を顕彰する日本家屋を活用した店舗。店内は和洋折衷のモダンな空間
バターカステラ「ANJIN」。洋酒の風味がふわりと香る。手前は平戸商工会議所が手がける新ブランド「平戸百菓繚乱」用に創作した焼き菓子「果の花〈かのか〉」。ドライマンゴーと平戸産の柑橘ピールの風味が爽やか

 一歩足を踏み入れれば、がっしりとした柱に守られた開放的な空間が広がる。明るいガラスケースや陳列台にはカスドースをはじめたくさんの菓子が並び、目移りするほどだ。どら焼きやいちご大福などの人気もの、またカラフルな饅頭や羊羹など意欲的な新商品も多い。

 店内奥の手入れの行き届いた座敷は、蔦屋の菓子と一緒にお茶やコーヒーをいただくことができる休憩スペースになっている。かつてはこのすぐ裏まで海が迫っていた。南蛮からの荷を積み替えた大坂行きの船が通るのを、ここから眺めることもあっただろう。今では埋め立てられ、庭木が花をつけている。その花の蜜を目当てに小鳥たちが飛んでくる。心なごむひとときだ。

 蔦屋の創業は1502年。菓子舗としては日本でも指折りの老舗であり、代々平戸藩主を務めた松浦家からも御用菓子司として重用されてきた。

 そう、平戸が「お菓子の島」になった理由を、松浦家の存在と切り離して考えることはできない。平安時代末期からこの地に根を下ろし、長く幕末まで一帯を治めた旧家だ。菓子との関わりで重要だったのは17世紀末、29代当主・松浦鎮信しげのぶが武家茶道の一流派である鎮信ちんしん流を打ち立てたこと。鎮信流は松浦家と平戸で大切に受け継がれていく。また37代当主・松浦あきらは明治維新後、廃れかけていた茶の湯を全国で熱心に指導し、日本の茶道復興に尽力した。

 平戸の菓子は茶席で振る舞われる茶菓子として発展したのだ。なかでもカスドースは蔦屋に伝わる秘法によるとされ、“とめ菓子”として松浦家にのみ献上されたという。庶民の手が届くのは明治になってからである。

 菓子への情熱を示す、貴重な記録も残っている。19世紀半ば、35代当主・松浦ひろむの命でつくられた「ひゃっ之図のず」。南蛮菓子を含む100種を網羅した、まさに菓子の百科事典だ。この豪華な図録には菓子ひとつひとつが極彩色で描かれ、レシピ付きで紹介されている。当時、蔦屋が作成に協力したといい、このなかのカスドース、花かすてぃらなどは今も店頭で見ることができる。が、失われたものも多い。

平戸藩主松浦家に伝わる菓子図鑑「百果之図」 写真提供=松浦資料博物館 *個人蔵のため展示はしていません
「百菓之図」に描かれた歴史ある平戸 蔦屋の南蛮菓子。「カスドース」から時計回りに、小ぶりな「牛蒡餅」、黒ごま入りのこし餡を求肥で包み、和三盆をまぶした「烏羽玉」、シナモンがほのかに香る「花かすてぃら」

 蔦屋はそのうちの「烏羽うばたま」を現代に甦らせた。黒ごま入りこし餡を求肥で包み、和三盆で真っ白に仕上げた上品な菓子。松浦家ゆかりの茶室・閑雲亭かんうんていでは、蔦屋のカスドースとともにこの復元菓子が供される。

平戸オランダ商館のほど近く、松浦家伝来の史料を展示する松浦史料博物館敷地内にある茶室「閑雲亭」では、鎮信流茶道で点てられたお茶と「平戸 蔦屋」謹製の烏羽うばたま(写真)かカスドースが味わえる

「南蛮文化と茶道。平戸のシンボルであるこのふたつに、同時に携わっていられることが幸せです」

 松尾さんの穏やかなことばの端々に、歴史ある土地に生まれたひとならではの誇りがにじむ。

24代目当主の松尾俊行さん。自ら毎日工場に入り、味を守り続けている

「『カスドース』も蔦屋だけのものではありません。平戸の宝として、後世に残すために力を尽くしたいと思っています」

平戸産のいちごと口どけのよい白餡を、薄くやわらかな求肥で包んだいちご大福(5月上旬まで)

文=瀬戸内みなみ 写真=佐々木実佳

──この旅の続きは本誌でお楽しみになれます。長崎市内へ、もうひとつの異国菓子を訪ねます。隣国の中国から大勢の人々がやってきた長崎では、華僑となった人々が故郷を懐かしんで中華菓子をつくり、当地に根付いた甘味となりました。異国からの影響を受けた菓子文化が今も大切に受け継がれる長崎市を訪ねます。3月3日の桃の節句を祝う長崎名物「桃カステラ」もお見逃しなく!

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【目次】
●お菓子の島、平戸へ
●コラム 春を祝う、長崎の桃カステラ
●長崎 中華菓子をたずねて

出典:ひととき2023年3月号

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