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土井善晴先生が「𠮷兆」を訪問!〝日本料理〟を完成させた料亭のいま

料理研究家・土井善晴さんが、郷土料理、食文化、道具や器、それらを支える各地域の歴史や熟達の手わざ等、日本の暮らしを豊かにしてきたモノ、コト、ヒトを、全国津々浦々を巡りながら紹介し、そこに宿る健やかさを独自の視点で掘り下げます。(ひととき2020年5月号「おいしいもんには理由わけがある」より)

 高麗橋𠮷兆本店の館が、建て替えをすませて、2019年7月、新たにスタートしました。日本料理界の頂点を極めた高麗橋𠮷兆です。普請、しつらい、もてなし、品格の高いお料理という湯木貞一(ゆき ていいち)が作りあげた日本美の世界は、どうなっていくのか、変わるもの変わらぬもの、日本料理のこれからが知りたくて、高ぶる心落ち着けて、訪ねました。

 私にとって、𠮷兆は特別な存在です。湯木貞一は、私が師事した味𠮷兆のご主人・中谷文雄のさらに上の大ご主人だからです。湯木貞一に私淑していますと書くだけでも、おこがましい気がするほどです。

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魚の庭〈なのにわ〉と言われるほど豊かな海がある難波では、魚料理が主役ゆえ“椀刺”が一番のご馳走。取材時(2月)の椀種は、春の訪れを知らせる焼き白魚に木の芽の吸い口。塗り椀の金蒔絵の花菖蒲文は、掲載時期(5月号)に合わせたもの


茶の湯文化と𠮷兆

 約束の時間まで、少し間があったので、地図を見ながら碁盤の目になった船場の高麗橋あたりから、南に向かって歩き、薬問屋が並ぶ道修町(どしょうまち)を過ぎて、平野町にある湯木美術館を見学しました。茶の湯と料理以外の楽しみは歌舞伎を見ることだけという湯木が、財を惜しむことなく収集した道具を、たくさんの人に見てもらうために作った美術館です。

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湯木美術館で、湯木貞一が収集した茶道具の名品の数々を鑑賞。「𠮷兆の料理は古典に通じる。ここに来ると、湯木さんがどういう思いで料理と向き合っていたかが分かるよね」

 展示の茶道具には、実にすっきりした書きぶりの解説がそえられています。道具は、場に調和して真美を表すもの。渋い天目茶碗と、たっぷりとした姿の濃い洗朱(あらいしゅ)を塗った天目台の取り合わせを見て、ああ𠮷兆だなあと思うのです。万事潔し、ここを度々訪ねれば、随分勉強になります。美術館の待合スペースにある𠮷兆大ご主人の肖像写真と並んで写真を撮りました。湯木貞一は背もすらりと高く、いつも身だしなみをきちんとしたエレガンスという言葉が似合うきれいな人でした。

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 本店に行くと、私より少しお若い当代主人・湯木潤治さんが水を打った玄関の外で待っていてくださいました。ご挨拶をして顔を上げると、つつましい佇まいをした石造りの玄関の内側に𠮷兆のトレードマーク〝千成瓢箪(せんなりびょうたん)〟の縄のれんが見えました。千成瓢箪といえば、秀吉公の馬印。大阪の人は、平民から天下人にのぼり詰めた人間味あふれる秀吉が大好きなんですね。

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湯木潤治さん。貞一の孫にあたり、伝統を生かしつつ、時代に即した手腕で店を生まれ変わらせた

 神戸の料理屋の長男として生まれた湯木貞一が、1930年(昭和5年)、大阪新町に「御鯛茶處(おたいちゃどころ)𠮷兆」を開店したのが𠮷兆の始まり。ひと通りの仕事を覚えた29歳の青年が作ったのは、奥行き6間(約11メートル)という細長いお店。テーブルは黒塗で縁は朱塗の爪紅(つまぐれ)*、椅子も朱塗にして、萌黄色の座布団が載る。客席と調理場の間には小さな床を設け、風呂釜を据えた、狭いながらも茶室の趣のある洒落た店。鯛茶が85銭、鯛の芋かけ75銭、日替わりの一品料理がある、余所よりも高い小さな高級料理屋です。後年湯木をフランスの旅に連れ出した料理研究家・辻静雄は、𠮷兆の印象を「その色調である」と看破しています。

*爪紅は縁〈へり〉を紅で染めること

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三宝柑〈さんぽうかん〉の輪切りを皿に見立てたお造り。右から時計回りに、あわび、くえ昆布〆、いかと青柳

 𠮷兆という屋号は、十日戎(とおかえびす)の〝𠮷兆笹〟からとったそうです。瀬戸内海と紀伊水道の真ん中の大阪湾でえべっさん(恵比寿様)が釣り上げた大きな鯛は、大阪の前、つまり大阪湾の魚。浪速(なにわ)とは、魚(な)の庭(にわ)と言われるほど魚がたくさんいたのです。大阪料理の第一は椀刺(わんさし)と言われ、椀物とお造りが一番のご馳走。𠮷兆のお造りは、夏の一時期をのぞいて鯛で決まり。𠮷兆には、明石から毎日メスの活け鯛を運ぶ人がいましたが、今もお孫さんが継がれていると聞いてうれしくなりました。

 湯木の初めての料理屋は、開業して半年もたたぬうちに大評判を呼び、素朴と洗練という、対極の日本的美意識を取り入れた料理を出すと、船場の名だたる旦那衆を喜ばせ、三菱財閥の岩崎小彌太をして、「日本一の小さな料理屋で、日本一のおいしい料理屋」と言わしめます。誰も見たことがない新しいものを作る湯木の天才は、この時すでに証明されていたように思います。彼は料理を通して、小林一三、山本為三郎、池田勇人*といった超一流の人物に愛され尊敬され、後押しされました。

*小林一三は阪急グループ創始者、山本為三郎はアサヒビール初代社長、池田勇人は政治家(第58・59・60代内閣総理大臣) 

伝統と強い矜持を感じる料理

 全面改装したお座敷は、できるだけ建て替え前の通りに再現され、大広間にある松竹梅の板絵もそのままです。大きく変わったのは、かつての真塗の長膳に脚を取り付け立派なテーブル(椅子席)にされたことです。これによって美観を損ねるどころか、かつてなかった力強さが𠮷兆の座敷に生まれたように思います。新しい𠮷兆の座敷と普遍の域に達した𠮷兆の力のある懐石料理の調和は見どころです。

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「澪〈みお〉の間」は最も大きな広間。能舞台の大松、梅、竹の板絵と市松模様の畳。過ごす時間を特別なものにするしつらい

 湯木の考案を数えだしたらキリがありませんが、お造りを一層おいしく食べてもらえるように、器に氷を敷いたのも彼の着想。古典文学、有職故実(ゆうそくこじつ)、花鳥風月といった文化を象徴的に取り入れた数々の趣向によって、日本料理をどきっとするほど華やかにしました。当時、一世風靡した𠮷兆の料理に倣った“𠮷兆風料理”が流行っても、「真似されるほど良いものいうことや」と意にも解さず、日本料理界を牽引したのです。

 あまり知られていませんが、28歳の時、星岡茶寮の北大路魯山人のそばで働きたいと上京しました。願いは叶いませんでしたが、後年、互いに尊敬の念を持って訪ね、交友を深め、魯山人自作の器が石炭箱に詰めてたくさん送られて来たそうです。魯山人はその芸術の心をもって器を料理の着物と考え、「熱いものは熱く」という料理屋の感覚をもって、今につながる料理屋の日本料理を作りました。魯山人が、日本料理を作った人なら、湯木貞一は日本料理を完成させた人です。

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熱した石に海老を載せて焼きたてを楽しむ石焼き

 1970年(昭和45年)、大阪で万国博覧会が行われ、世界中から姿も味も強い本格的なフランスの肉食文化が入ってきた頃、湯木は将来の日本料理を憂い、ふと思いついたのが、「世界の名物 日本料理」という言葉でした。辻静雄に招かれたフランスの3つ星シェフ、ポール・ボキューズが、𠮷兆で鮮やかな緑と歯切れを残して茹で上げたインゲン豆を見て、その料理からフランスに「ヌーベル・クイジーヌ」(新しい料理の意)という革命を起こしたと想像するのは、楽しいものです。わび茶を完成させた千利休からさらに踏み出した、華やかさと強さをプラスした品格の高い懐石料理は、金の茶室を造らせた秀吉の強くて艶やかな茶の湯、茶の琳派であったと思います。

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百合根きんとんと抹茶

 時代の最先端であったポール・ボキューズのフランス料理も𠮷兆の料理も、今ではクラシック(古典)となりました。クラシックという伝統は、大自然と結び、土地と人間の暮らしに繋がるものです。恐れるべきは、すでに始まっている伝統の切り捨て。それは唯一の住処である地球の否定。地球を諦めるのですか。伝統は在ることが重要で、迷い、見失いそうになった時、訪ねれば、初心に帰してくれるところです。

文=土井善晴 写真=岡本 寿

◇◆◇ 土井善晴先生の新刊 ◇◆◇

おいしいもんには理由わけがある
土井善晴 著(ウェッジ)
2023年8月19日発売

本書は料理研究家・土井善晴さんがキッチンを飛び出して、全国の食文化を訪ね歩いた記録です。たとえば一子相伝の江戸佃煮を伝える職人や、濃厚な食味の牡蠣を育てる瀬戸内の漁業者、華やかな加賀料理の伝統を守る料亭の主人らに会い、出羽三山ではもぎ立ての山菜を山小屋の主人と味わう。
風土が生んだ食材と食文化を体感することで紡がれた土井さんの文章は、時に文化論的思索にもおよびます。
著者初の紀行書である本書は、「一汁一菜」とはまた違う視点から日本の食文化を見つめなおす書であり、土井さんが旅する様子を活写したカラー写真も豊富で、格好の食ガイドも兼ねています。

▼ご注文はこちらから

<本書の目次(一部)>
一子相伝、江戸の佃煮[東京都台東区]
赤福餅と伊勢参り[三重県伊勢市]
南蛮渡来の甘いもの[長崎県長崎市・平戸市]
豊饒の美味、琵琶湖[滋賀県大津市・草津市・近江八幡市]
吉兆と湯木貞一の美学[大阪府大阪市]
百万石の加賀料理[石川県金沢市]
日高昆布は万能昆布 [北海道幌泉郡えりも町]
瀬戸内・国産レモンの島[広島県尾道市瀬戸田町]
香気とうま味の奥八女茶[福岡県八女市星野村]
日生湾のふっくら冬牡蠣 [岡山県備前市、和気町]
古式作りの讃岐和三盆[香川県東かがわ市、高松市]
出羽、芽吹きの山菜[山形県西川町、鶴岡市]

土井善晴(どい よしはる):1957年、大阪府生まれ。料理研究家、十文字学園女子大学特別教授。テレビ朝日系「おかずのクッキング」、NHK「きょうの料理」に出演。『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)など著書多数

Information
●高麗橋𠮷兆 本店
☎06-6231-1937 大阪市中央区高麗橋2-6-7
[営業時間]11時30分~14時、17時~21時30分
[定休日]不定休
https://koraibashi-kitcho.com/

●湯木美術館
☎06-6203-0188 大阪市中央区平野町3-3-9
[営業時間]10時~16時30分(入館は16時まで)
[定休日]月曜(祝日の場合は翌平日休)、展示替期間
[料金]大人700円 大学生400円 高校生300円
http://www.yuki-museum.or.jp/

出典:ひととき2020年5月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。


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