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光と色の祝祭 蔵屋美香(横浜美術館館長)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2021年9月号「そして旅へ」より)

 長らく美術館に勤めている。美術作品に関する調査、研究、保管、展示を行う、学芸員という職業だ。

 この仕事は意外と海外出張が多い。たとえば、次の展覧会のためはるばるアーティストを訪ねることもある。また、自館の所蔵する作品を海外の美術館に貸し出す際、作品について現地まで行き、展示作業を見届ける「クーリエ」という仕事もある。

 仕事の合間に空き時間ができれば、さあ、勇んで近隣の美術館訪問だ。しかし、ひとつ残念なことがある。美術館の展示室内には、多くの場合、窓がない。外光が当たると、紫外線や赤外線によって作品にダメージが生じる可能性があるからだ。閉ざされた室内は時間の経過がわかりづらい。陽の光が美しい午後、展示室に入り、出るときにはうっかり日が暮れていることもしばしばだ。こうして、旅先における貴重な晴天の一日が、暗い室内にこもっている間に終わる。

 光は本来、美術作品にとって、その見え方をがらっと変えてしまう重要な存在だ。特に、時間や季節によって明るさや色が変化する自然光で見ると、年中一定の人工照明では見えなかった色や形が、思いがけず画面に浮かび上がってくることがある。だから、旅の晴れた一日を惜しむ気持ちと共に、もし室内に外光が差し込んでいたら、これらの作品はどんな顔を見せるだろう、とつい想像してしまう。

 それだけに、自然の光の下で作品を見ることができた数少ない経験の記憶はひときわあざやかだ。

 たとえば、パリのオランジュリー美術館。2つの楕円形の部屋があり、その壁に沿って、印象派の画家、クロード・モネによる大きな睡蓮の連作がぐるりと取り付けられている。天窓からはやわらかな光が降ってくる。太陽に雲がかかれば、画面に塗られた青みがかった灰色や深緑やピンクは不透明のくすんだ色調となる。しかし太陽が顔を出すと、これが同じ画面かと疑うほどに、それぞれの色が明るく、あざやかに変化する。

 また、美術館ではないのだが、テキサス州ヒューストンの住宅地にたたずむロスコ・チャペルでも似たような経験をした。アメリカの画家、マーク・ロスコの作品のために設計された、1971年竣工の小さな無宗派の礼拝堂である。わたしが訪れたのは、天候がくるくると変わる荒れ模様の朝だった。八角形の堂内に入ると、14点の作品が壁にかかっている。いずれの画面にも具体的な図柄はなく、まるで暗い灰色一色で塗られた無地の板のようだった。ところがほんの一瞬、太陽が顔を出した。すると、天窓からの光に照らされて、無地と思われたところにもやもやとした薄い絵具の塗り重ねの跡が姿を現した。単調な一面の暗い灰色は、青、紫、黄、赤とさまざまな色味を帯びた灰色のひしめきあいに変わった。驚いて見続けるうち、平らなはずの画面に空間の奥行きが生じてきた。

 気が付くと、移り変わる光と色の祝祭に見とれ、わたしはしあわせな4時間あまりをそこで過ごしていたのだった。

文=蔵屋美香 イラストレーション=林田秀一

蔵屋美香(くらや みか)
千葉県生まれ。東京国立近代美術館勤務を経て、2020年より横浜美術館館長。専門は近現代美術。油画科出身で、学生時代にはマンガ家を目指していた変わり種。著書に『もっと知りたい 岸田劉生』(東京美術)など。

出典:ひととき2021年9月号


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