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中村勘九郎さん・中村七之助さんが語る ”芝居小屋の魅力”(美濃・飛騨)

かつて十八代中村勘三郎さんに「こういうところで芝居をするのはホントに怖いよねえ」と言わしめた岐阜。築100年を超える木造の芝居小屋がいくつも残り、子供から大人までが地芝居(*1)を演じ、身近に感じて育つこの地域では、芸を見る人々の目が肥えているようです。ひととき9月号では、特集記事で美濃・飛騨の地歌舞伎を紹介しています(中村勘九郎さん、七之助さんへのインタビュー記事を一部お届け致します)。
*1 岐阜では地芝居のことを「地歌舞伎」と呼んでいます。

 岐阜の芝居小屋の名誉館主を務めるおふたりは、美濃・飛騨をはじめ全国を巡業しています。江戸の風情が残る各地の芝居小屋の印象や今後の展望などを伺います。

 江戸時代の芝居小屋の熱気を現代に甦らせた移動式芝居小屋「平成中村座」での公演は、おふたりのライフワークのひとつ。それは父である中村勘三郎さんから受け継いだもので、中村屋さんと芝居小屋とは切っても切れない関係なのです。

勘九郎(以下「勘」) 父がテレビのトーク番組で、香川県琴平町(ことひらちょう)の金丸座(旧金毘羅大芝居)を訪れた時に、こういうところで芝居がしたいと思ったのがきっかけのひとつだったと聞いています。それが「こんぴら歌舞伎」という形で実現しました。

七之助(以下「七」) そこから客席前方の椅子を取り払って桟敷(ざじき)席にした、東京・渋谷のシアターコクーンでの「コクーン歌舞伎」につながり、「平成中村座」へとつながっていきました。

 小さい頃に初めて金丸座へ行った時は、小屋の正面に砂利があって壮大な遊び場のようだと思いました。

 まさに遊び場。ローカル線に乗ったのも楽しい思い出です。

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公演先「かしも明治座」での取材風景。背後の緞帳は「娘引き幕」と呼ばれ、芝居に熱心な地元の女性たちが寄贈したもの。各家の屋号の入った模様が染め抜かれている

――芝居小屋との出会いは旅の思い出と共にあるのですね。舞台に立つようになってから何を思いましたか。

 正直、舞台に立ち始めた頃は自分の芝居で父を怒らせないようにするだけで精一杯。ですから何かを思うどころではありませんでした。

 雰囲気を味わえるようになったのは大人になってからです。14年前の父の勘三郎襲名で各地の芝居小屋を巡った時は、行く先々でいろんなことが起こって本当に楽しかったです。

 僕は残念ながら怪我のため参加できなかったんですけれども。

 あまりに面白すぎて、兄に「なんでいないのー!」とか言いながら電話で報告していました(笑)。

――どんなことがあったのでしょう。

 おひねりとか?

 (笑)。「義経千本桜 すし屋」という芝居のラストで、主人公の権太が誰にも明かしていなかった心情を語る場面があるんです。いつもは劇場中がシーンと張りつめるところなんですが、そこでおひねりがものすごくたくさん飛んできました。あのなかでよく芝居できるなと思うくらいの勢いと量。そのうち権太を演じている父の頭におひねりが当たってしまって。

 口から血をたらし、息も絶え絶えになっている人の頭にゴン!(笑)。

 父は怒っているだろうなあと思いながらも、おかしくておかしくて。

――お父様の反応は?

 「痛いんだよ!」と口では言っていましたけど嬉しそうでした。それから「虫の音が聞こえる」と喜んだり、「権太の家はこういうところにあったんじゃないかなあ」としみじみしたりしていたのを覚えています。

――その後2017年(平成29年)には、おふたり揃って「全国芝居小屋錦秋特別公演」で各地を巡っています。

 父の襲名でできたご縁を各地の方々が大切に思ってくださったおかげです。小屋が残っていてもそれを守ってくださる人がいなければ芝居ができる環境は保てません。本当に皆さん損得抜きで頑張ってくださっていて、その労力は大変なものだと思います。そういうところで芝居ができるのは幸せなことだなあ、と思います。

 本当にそう思います。

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2017年の錦秋特別公演「棒しばり」。次郎冠者(じろうかじゃ)を演じる勘九郎さん

 地元の方々がお祭り感覚で浮き浮きわくわくした様子で「歌舞伎が来る!」と楽しみにしてくださっている様子を目にすると、僕らもわくわくします。本当に嬉しいですね。

 おひねりもお祭りのイベントのひとつみたいなものなんでしょうね。でも最初はびっくりしました。こういうことって実際にあるんだなあ、と。そういえば、芝居小屋じゃないけど客として投げたことあったよね?

 あった、あった!

 いい芝居をしてくれて見得がパッときまると、わーーーっと投げたくなる。その気持ちがすごくよくわかりました。最近になって思ったのは、動画配信ライブでの投げ銭システムに通じるものがあるなということです。

 投げ銭で盛り上がる感じ、確かに似ているかも。おひねりをいただく側からすると、遠慮がちに投げられると恥ずかしくなるんですよね。

 そう。舞台にそーっと近づいてかたまりを置いて行った方がいらしたんですけど、踊りの邪魔をしてはいけないと思われたのかあ……。

 踊りといえばコウモリ(*2)!

 東座(あずまざ)での「藤娘」ね。

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2017年の錦秋特別公演より「藤娘」。しっとりと恋心を踊る七之助さん

 最初は真っ暗でチョン! という柝(き)の音で場内がパッと明るくなるんですが……。明かりがついた瞬間にコウモリがバサバサバサー(笑)。

 あれはびっくりした! 

 コウモリもびっくりしたんだろうね。薄暗くなって人間はみんな帰ったと思ったら、急に昼間のようになって。パニック起こしたんだよ。

 うわあぁ、こっちに来ないでくれーとひたすら祈りながら踊っていました。途中でどこかへ行ったのでホッとしましたけど、小屋のなかで見るコウモリの大きさといったら……。

――それはスリリングですね(笑)。

 舞台にけっこう大きい虫がいることも(笑)。本当に何が起こるかわからない面白さがあります。

*2 東座では「カンザブロウ」と名付け、害虫を駆除する益獣として大切にしているのだそう

インタビュー=清水まり 写真提供=ファーンウッド

この続きはひととき9月号でお楽しみいただけます。中村兄弟の地歌舞伎への更なる思いや、今後の展望などが語られています。

中村勘九郎(なかむら かんくろう):1981年、東京都生まれ。十八代目中村勘三郎の長男。1987年1月、歌舞伎座「門出二人桃太郎」の兄の桃太郎で、二代目中村勘太郎を名のり初舞台。2012年2月、新橋演舞場「土蜘(つちぐも)」僧智籌(ちちゅう)実は土蜘の精、「春興鏡獅子」の小姓弥生のちに獅子の精などで、六代目中村勘九郎を襲名。2019年度はNHKの大河ドラマ「いだてん」で主演を務めた。
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中村七之助(なかむら しちのすけ):1983年、東京都生まれ。十八代目中村勘三郎の次男。1987年1月、歌舞伎座「門出二人桃太郎」の弟の桃太郎で、二代目中村七之助を名のり初舞台。女形を中心に、多くの舞台を務めるほか、映画やドラマでも活躍。2003年には、ハリウッド映画「ラストサムライ」に明治天皇役で出演。
清水まり(しみず まり):エンターテインメント分野を中心に執筆。「T:The New York Times Style Magazine」の日本版「T-JAPAN」ウェブサイトにて歌舞伎俳優へのインタビュー「歌舞伎への扉」を連載中。芝居小屋に関する書籍に『愛之助が案内 永楽館ものがたり』(集英社)がある。
岐阜県の「地歌舞伎」全般に関するお知らせ
ぎふ歴史街道ツーリズム事務局(日本イベント企画株式会社内)
☎0584-71-6134 https://www.jikabuki.net/

ひととき2020年9月号の詳細はこちら

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特集「美濃・飛騨 歌舞伎遊山 ふたたび 日本一、芝居に熱い!」
写真=林 義勝 インタビュー=清水まり 
◉序幕 地歌舞伎 歴史考 文=安田文吉・安田徳子
◉めくるめく 地歌舞伎の里へ(グラビア)
◉幕間 思い出話 Part1 市川笑三郎さん
◉幕間 思い出話 Part2 中村いてうさん
◉終幕 だから、地歌舞伎へ 文=仲野マリ
◉特別インタビュー 中村勘九郎さん・中村七之助さん

ーーひととき本誌では、4年前にも美濃・飛騨の歌舞伎を取り上げています。その時に心を奪われた写真家の林義勝さんは、その後、岐阜に残る芝居小屋(計9か所)すべてに足を運んで舞台公演や地元の風景を撮り続けてきました。
 木造の古い芝居小屋で演じられる華やかな舞台、舞台裏で出番を待つ可愛らしい子供たちの姿……。岐阜の美しい自然の風景とともに、誌上歌舞伎をお楽しみください。(ほんのひととき編集チーム) 

*おかげさまで、ひととき9月号はamazonで完売しておりますが、他書店では販売しておりますので、お求めの方は、そちらへどうぞよろしくお願い致します。

◆前回のひととき2016年9月号「地歌舞伎」特集では、歌舞伎に造詣の深い作家の松井今朝子さんが現地を旅して執筆してくださっており、こちらもおススメです! 


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