見出し画像

岐阜の芝居小屋を経て、プロの歌舞伎役者へ――市川笑三郎さん

「地歌舞伎(*1)」が日本一盛んな岐阜では、江戸の風情が残る芝居小屋が各地に残っています。ひととき9月号の特集では、美濃・飛騨の「地歌舞伎」を紹介しています。中村勘九郎さん、七之助さんへのインタビュー記事に続き、中津川市で生まれ育った歌舞伎役者、市川笑三郎さんのインタビュー記事を転載してお届けします。

市川笑三郎:岐阜県中津川市出身
小学生の頃に地歌舞伎と出会い、中学卒業後、即、プロの歌舞伎役者になると決めた笑三郎さん。真っ直ぐ道を切り拓いた原動力は、地歌舞伎の舞台で味わった快感にありました。

 生まれ育った町(*2)にも芝居小屋があったらしいのですが火事で焼失し、私が子供の頃は坂下神社の舞台で11月に歌舞伎が行われていました。普段は田圃を耕しているおじいさんが、その日になると突然別人になって舞台に現れる。それが当たり前の日常でした。

*1  岐阜では地芝居のことを「地歌舞伎」と呼んでいます
*2  旧・坂下町(さかしたちょう)。2005年に中津川市へ編入合併した

 東京で修業をした瓦屋のおじさんが歌舞伎好きで、その方に誘われて初めて舞台に出たのは8歳の時。多くの人に注目されて拍手をもらうなんて、それまでまったくなかったことです。その気持ちよさと、自分とは全く違う人物となり異次元に引き込まれていくような不思議な感覚と。いっぺんでその魅力に取り憑かれてしまいました。

 その他大勢の役に始まり娘役を演じるようになっていくなかで、子供歌舞伎を立ち上げることになったのは小学6年の時でした。同世代の仲間と芝居をするのは大人に交じってやるより楽しく、「絵本太功記」の光秀のように憧れの役をいただいた時は嬉しかったですね。リーダーを任されたこともあり、どんどんのめり込んでいきました。

画像1

小学6年生で「絵本太功記」の武智光秀こと明智光秀(左)を演じた 
写真提供=市川笑三郎

中学卒業後に単身で上京

 地元で今もよく上演される演目に「世迷仇横櫛(よにまようあだなよこぐし)」というのがあるのですが、これは幕末に書かれた作品をもとにお世話になった振付師の松本団升(だんしょう)先生(*3)が台本をつくられた作品です。その初演で主人公の横櫛お林(りん)をつとめさせていただいたのは中学2年の時でした。

*3  松本団升(1922年〜2007年) 地歌舞伎の再興と伝承に尽力した

 稽古は3カ月前くらいから始まって月に3回、合計9回ほどで本番を迎えます。それ以外はひたすら自習。学校の勉強そっちのけで夢中になっていました。自分にとってそれが日課だったんです。そんな子供ですから、小学生の頃から将来は役者になると勝手に決めていました。

 中学の進路相談で先生から高校へ行ってからでも遅くないと言われ、ちょっとだけ迷ったこともあります。でも近隣の町も含めるとあちこちで芝居がかかりますから、それを見るといてもたってもいられず、やっぱり今行くしかない! という気持ちになります。

 団升先生が当時三代目猿之助を名のっていた師匠(現・市川猿翁)と交流があったことから、師匠に入門することになりました。中学を卒業するとすぐに東京へ出て内弟子として師匠のお宅に住まわせていただきました。次男だったこともあってか、両親は反対しませんでした。「生半可な気持ちではいけない」とは言われましたけれども。

 憧れていた世界に入れる喜びでいっぱいですから、単身での上京に不安はありませんでしたが、実際に内弟子生活が始まると、思っていた以上の厳しさで、職業としてやっていくには、ただ楽しいだけではできない世界だと実感しました。それでも一度もやめたいと思わなかったのは、「好き」が何よりも勝っていたからだと思います。

笑三郎さんヨコ2_WEB用

写真提供=市川笑三郎

芝居小屋にいる全員が主役

 地歌舞伎というのは見るほうもやるほうも楽しんでいるようなところがあり、芝居小屋のなかにいる人全員が主役みたいな一面があるように思います。そしてその楽しさが次から次へと受け継がれて世代交代していく。

 子供の頃、「おひねりをもらえる芝居をしなさい」とよく言われました。たくさん飛んでくるとやはり嬉しいですし、投げるほうも楽しんでいる。みんな芝居好きで詳しいので、役者がせりふにつまるとお客さんがつけて(教えて)くれることもよくありました。子供時代に見ていた舞台は、とてもクオリティーが高かったように思います。

 団升先生のお孫さんが役者になられて中村いてうの名で活躍されているのは同郷の身として嬉しいことです。その一方で、さらにその下の世代から役者になる子が現れないだろうかという思いもあります。

 時節柄、今はいろいろと難しい問題がありますが、さまざまな意味で地歌舞伎がこれからも存続、発展していくことを心から願っています。

インタビュー=清水まり

ーーひととき9月号では、美濃・飛騨の地歌舞伎をご紹介しています(コチラでは、中村勘九郎さん、七之助さんのインタビュー記事を一部転載しております)。
木造の古い芝居小屋で演じられる華やかな舞台、舞台裏で出番を待つ可愛らしい子供たちの姿......。なかなか気軽に歌舞伎を鑑賞できない今、誌上歌舞伎を楽しんでみてはいかがでしょうか。(ほんのひととき編集チーム)

*ひととき9月号はamazonでは完売しましたが、他書店では入手できますので、お求めの方はそちらへよろしくお願い致します。

市川笑三郎(いちかわ えみさぶろう):1970年、岐阜県生まれ。1986年4月に市川猿之助(現・猿翁)に入門。同年5月、中日劇場「ヤマトタケル」の吉備の国の使者ほかで、三代目市川笑三郎を名のり初舞台。1994年3月、猿之助の部屋子となる。1998年7月、歌舞伎座「義経千本桜」四の切(しのきり)(*4)の静御前で名題(なだい)昇進(*5)。中津川市観光大使

*4 四段目の最後「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)の場」の通称
*5 歌舞伎俳優は役柄や演技の専門性によって、名題と名題下に大別される
清水まり(しみず まり)エンターテインメント分野を中心に執筆。「T:The New York Times Style Magazine」の日本版「T-JAPAN」ウェブサイトにて歌舞伎俳優へのインタビュー「歌舞伎への扉」を連載中。芝居小屋に関する書籍に『愛之助が案内 永楽館ものがたり』(集英社)がある。
岐阜県の「地歌舞伎」全般に関するお知らせ
ぎふ歴史街道ツーリズム事務局(日本イベント企画株式会社内)
☎0584-71-6134

出典:ひととき2020年9月号

画像3

特集「美濃・飛騨 歌舞伎遊山 ふたたび 日本一、芝居に熱い!」
写真=林 義勝 インタビュー=清水まり 
◉序幕 地歌舞伎 歴史考 文=安田文吉・安田徳子
◉めくるめく 地歌舞伎の里へ(グラビア)
◉幕間 思い出話 Part1 市川笑三郎さん
◉幕間 思い出話 Part2 中村いてうさん
◉終幕 だから、地歌舞伎へ 文=仲野マリ
特別インタビュー 中村勘九郎さん・中村七之助さん

◆前回のひととき2016年9月号「地歌舞伎」特集では、歌舞伎に造詣の深い作家の松井今朝子さんが「なぜ優れた郷土芸能が生きているのか」という素朴な疑問を胸に抱き、類のない文化を後世に残すべく、情熱を注ぐ人々を訪ねて旅をします。こちらもおススメです! 



よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。