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夏におすすめ!今治のタオル生地Tシャツ【みやざきタオル】

今日も日本のあちこちで、職人が丹精込めた逸品が生まれている。これは、世界がうらやむジャパンクオリティーと出会いたくて、てくてく出かける。こだわりの小旅行。さてさて、今回はどちらの町の、どんな工場に出かけよう──(ひととき2022年7月号 「メイドインニッポン漫遊録」より)

 ポケット付きのTシャツ(ポケT)が好きで夏はそればかり着てしまう。ポケットが付いているだけで、Tシャツ1枚でもサマになる。お手本は米国の著名な写真家のブルース・ウェーバーが撮った俳優のサム・シェパードのポートレートだ。ジーンズにポケTを着た写真が実にカッコいい。ただ自分は汗っかきなので、すぐベタついてしまうのが難点であった。

 たまたまインスタグラムで、いい感じのポケTを見つけた。「みやざきタオル」というメーカーが愛媛県の今治で作っている、タオル生地のポケTだ。

表地がガーゼタオルで裏地と襟元とポケットがパイルの表ガーゼタイプ(手前)と、表地と襟元がパイルで裏地とポケットがガーゼタオルの表パイルタイプがある。白、紺、ピンクの3色。フリーサイズ。Tシャツ7,700円、ポロシャツ8,250円
MとTがデザインされた、みやざきタオルのロゴ

 今治といえば、日本を代表するタオルの生産地。これなら汗をかいても着心地がよさそう。ネットで検索してみると、みやざきタオルはタオル生地のマフラーも考案して商品化した老舗のタオルメーカーである。公式のインスタグラムには、今治で暮らす日常の風景を撮った〝映える〟写真が毎日アップされている。

 商品を作って売るだけじゃなく、こういう遊び心のあるメーカーっていいなぁ。いったいどんな人たちがタオル生地のマフラーやTシャツを考案したのだろう。ぜひ会ってみたくなり、今回はみやざきタオルを訪ねて今治市を旅してきました。

かつて村上海賊が本拠地にしたという大島の風景(上下写真)

 みやざきタオルの歴史は、そのままタオルの街として知られる今治の綿織物産業の歴史と重なる。

 1896年、綿織物業の宮﨑儀三郎商店が創業。今治は江戸時代から白木綿の産地として栄えていた。明治以降、近代設備を擁する紡績工場のあおりを受けて衰退すると、和歌山から綿ネル*の技術を導入する。宮﨑儀三郎商店も日本各地と海外に向けて綿ネルの生産を始めた。1954年には、三男のたけし氏が工場の一部を譲り受けて独立し、宮﨑タオルを設立する。当初は輸出向けタオルを製造していたが、1970年、2代目のげん氏が高度成長で増大した国内需要向けに生産を転換、自社ブランドのタオルを展開するようになった。

*毛織物の片面または両面を起毛して毛羽立たせ、柔らかく保温性に富むフランネルという生地に似せた綿織物。日本では明治初期に和歌山県で作り始められたので紀州ネルともよばれた。今治綿業の父と呼ばれる矢野七三郎[1855~89]はこれを学び改良して伊予ネルを開発、技術を一般公開したことが今日の今治タオルにつながっている

「今治は造船も有名ですが、昔から造船業は男性、タオル産業は女性で成り立っていました。今も子育てが一段落した方たちがパートなどで多くの仕事に携わっています」

 そう言って社屋を案内してくれるのは、みやざきタオルの3代目、宮﨑陽平さん。タオル生地のポケTがお似合いの飄々とした風貌は、失礼ながらとても社長には見えない。かつては女子寮だった建物をリノベーションしたオフィスは、社長室というよりまるでカフェのよう。これも陽平さんのセンスなのだろう。イタリア製の業務用エスプレッソマシンで手際よくエスプレッソを淹れてくれる。インスタグラムの写真も、愛用のライカで撮って毎日アップしているのだとか。

(1)染め上げられた生地が干され、チェックされる
【染め担当・同心染工にて】
(2)縫製工場へ運ばれるのを待つTシャツ用に織られた生地を見つけ、うれしそうに伸縮性や手触りを確かめる陽平さん(右)
【染め担当・同心染工にて】
(3)職人さんが熟練の技術で綿糸を紡ぐ
【織り担当・矢野紋織にて】 
(4)Tシャツの生地は機械で伸縮糸が横糸に通される。手前は矢野秀和さん
【織り担当・矢野紋織にて】

 2代目で父親の弦さんはアイデアマンで、朝シャンタオル、藍染めタオル、日本初のオーガニックコットンタオルなどを次々と考案して製品化。なかでも1999年に販売した「いまばりタオルマフラー」は大ヒットし、2007年にグッドデザイン・中小企業庁長官特別賞を受賞している。

薄くて肌触りがよく汗も吸うウォーキングなどに最適な「いまばりタオルマフラー」全120色

「明治時代、タオルは舶来品で高価なものだったから襟巻に使っていたそうなんですね。タオルマフラーが生まれたのは、その事実を読書好きだった父が古い書物で見つけたことがきっかけです。父は地元のタオル産業のためになればと特許を取らなかったので、今では今治タオルの定番商品になっています」

 アイデアマンで遊び心あふれる父親の仕事ぶりを見て育った陽平さん。高校を卒業後は東京の語学学校に通い、イタリアでの1年間のホームステイを経て2001年に入社。2005年、先代が他界して26歳で社長に就任する。

 折しも当時は中国からの廉価なタオル製品が激増していたところにバブル崩壊。今治でも綿織物の業者が500社から150社にまで減るほど、業界の業績が悪化していた。もともと今治のタオル産業は生地の製造、染め、縫製などが分業制だったことから、陽平さんも悩んだ末に少しでも身軽になろうと、織機を織物工場に無償で譲渡。業務を企画・仕上げ・在庫管理だけに縮小して、社名もみやざきタオルに変更した。

 一方、危機感を抱いた今治では国の認定を受け、ブランディングプロジェクトを開始する*。紆余曲折を経ながらも、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏を招いたこのプロジェクトが実を結んで、今治のタオルは認知度、売り上げともに、その地位を確固たるものにした。

*今治商工会議所が四国タオル工業組合(現今治タオル工業組合)、今治市と連携し国の事業である「JAPANブランド育成支援事業」の認定を受け、2006年度から取り組んでいる

今治タオルを象徴する白いタオルが並ぶ今治タオル本店。右から左へいくにつれて生地がしっかりとしていく。一番左は「すごいホテル仕様タオル」。ロゴ(写真下)は佐藤可士和氏のデザイン ☎0898-34-3486

「グラフィックデザインやプロダクトデザインが好きで、佐藤可士和さんのことは存じていました。僕はこのプロジェクトに直接関わってはいませんが、可士和さんの仕事を見られたのはいい勉強になりました」

 タオル生地のTシャツ「いまばりタオルTシャツ」は、陽平さんが中心になって今治タオル工業組合の青年部会に在籍していた2019年に、有志とともに開発した(販売は2020年)。ポケットは「僕がポケTが好きなので」という一言で付けられたそうだ。父親ゆずりのセンスと遊び心でインスタグラムにアップすると、ネット販売用に生産した2000枚はすぐに完売。追加生産待ちになった。

「タオルTシャツも、父が考えたタオルマフラーのように、今治タオルの定番商品になるといいですね」

タオルマスク。イラストは陽平さん

 Tシャツではゴルフ場に着て行けないからと、ポロシャツも発売された。タオルって、まだまだいろんな可能性がありそうだ。汗っかきもこれでもう大丈夫。

大島をめぐっていたら見つけた、まるでプライベートビーチのような砂浜

いであつし=文 阿部吉泰=写真

いであつし(コラムニスト)
1961年、静岡県生まれ。コピーライター、「ポパイ」編集部を経て、コラムニストに。共著に『“ナウ”のトリセツ いであつし&綿谷画伯の勝手な流行事典 長い?短い?“イマどき”の賞味期限』(世界文化社)など。

みやざきタオル株式会社
愛媛県今治市中寺632-1
☎0898-32-1776
https://www.miyazaki-towel.co.jp/

*次回の「メイドインニッポン漫遊録」は2022年12月号に掲載の予定です

出典=ひととき2022年7月号

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