土井善晴先生を魅了する“百万石の加賀料理”の真髄とは?
伝統工芸の礎を築いた加賀の文化
私にとって金沢といえば、伝統工芸の街でした。能登の輪島を含め、周囲にある山中漆器、九谷の焼物を訪ねて、幾度も足を運んだところです。
20代の料理修業時代、北大路魯山人の著作集をよく読んでいました。魯山人によると「日本料理の勉強の半分は料理の着物である器の研究だ」というのです。魯山人は山代温泉の須田菁華窯(すだせいかがま)や山中漆器の職人に習い、自身が顧問を務めた料亭・星ヶ岡茶寮で用いる器を作りました。加賀金箔を生かして、太陽と月を、金・銀の円で表した「日月椀(じつげつわん)」も、ここ金沢で生まれました。
魯山人は、大家の美術作品にとどまらず、文化人の住む家やその人物、あらゆる対象を酷評し、自ら生きづらくしたことはよく知られています。それでも「小生の作品は総て下手の横好き、むしろ小生は批評に長ずる自信がある」と嘯いていました。残された論評でも、ほとんど人を褒めることはしていませんが、茶(道)をふまえた日本人好みという立場にたった着眼点、洞察力は、その綿密な語りぶりからして、まんざら嘘ではないように思います。そんな魯山人が、古九谷青手(こくたにあおで)・色絵(いろえ)を、「豪快であり、すこぶる雅、世界中の焼物の前にだんぜん優越を感ずる。人間味に富んだ趣のある点が我が国産として大いに誇られる」と、手放しで褒めているのです。私は古九谷の名品を見るために、金沢市内にある「石川県立美術館」を、度々訪ねたものです。
金沢の気候が育んだ精神的風土
アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが大学で禅を学び、近代に活躍した仏教学者・鈴木大拙(だいせつ)から影響を受けたことは有名です。金沢に行けば「鈴木大拙館」に必ず足を運ぶという友人によると、ここは訪問者自身が考えることを意図して設計された建築が、気持ち良いのだそうです。
鈴木大拙を生んだ金沢は、古代から大陸との交流が盛んで、白山(はくさん)信仰という豊かな精神文化を育む風土がありました。夏は高温多湿・冬は豪雪という厳しい自然にも感謝し、知恵を働かせ、自然の変化を味方にして豊かな暮らしを実現していたのです。そのため藩政期の金沢は、江戸、大阪、京都に次いで人口が多かったそうです。
1583年(天正11年)の前田利家の金沢入城以後は、軍事的に各藩を厳しく監視していた幕府の挑発に乗らぬように、伝統工芸の礎を築き、学問や芸道を奨励する文化政策で、百万石の城下町を造ったのです。豊かな財政はなんと半数が武士という人口構成を作り、消費が奨励され、恵まれた海の幸、山の幸を求める客を招き、客をもてなす、という料亭文化が金沢に生まれました。
金沢は、今では美食のほかにアートの街としても知られており、2004年の「金沢21世紀美術館」の開館は、金沢の文化的街づくりの伝統を象徴するものでした。穏やかで美しい美術館の建築コンセプトは、活気を生み出す装置として、持続性のある強いインパクトを与えました。ちなみにここにある「タレルの部屋」はとても気持ちが良くて、私のお気に入りです。
加賀料理の真髄とは
さて今回は、金沢の中心部、尾山神社近くにある、老舗料亭を代表する「大友楼(おおともろう)」にまいりました。大友楼は1830年(天保元年)創業、加賀藩の御膳所御料理方に代々務め、代々料理頭も務めました。趣深い虫籠窓(むしこまど)に赤壁を用いた茶屋建築の正面に立って眺めると、脇の梅の古木と緑の植え込みに映えて、なんとも良い風情で迎えてくれます。
門をくぐるとステンドグラスを通した赤い光が艶っぽい。磨きこまれた檜の小上がりには御二階に客を上げる赤い毛氈(もうせん)が敷かれた階段。その脇には、館の奥へ導く、外露地のような石畳があります。粒そろいの黒い玉砂利に四角い敷石とアクセントになる丸石や大きな赤石の飛び石に、隅々まできれいに水が打たれ、内外の灯りを反射する美しい景色は、想像以上に長く続きます。
奥の座敷に案内していただき、ご主人の大友佐俊(さとし)さんにお話を伺いながら、食事をいただきました。この頃、古九谷は伊万里だと言われますが、と話を向けると、「伊万里だとしても、古九谷は前田家の美意識、金沢で用いられた器です」と、どこで焼かれたかなんてどうだっていいと魯山人と同じことを仰る。
さてお料理は、ある程度型にはまった懐石料理かと思っていたらまったく違ったものでした。まずお膳に載せて運ばれたのは金沢の郷土料理「じぶ」。じぶとは、ジブジブと煮る台所の音。治部煮として知られているのは、わかりやすくする都合上、当て字をしたもので、かつて、献立はすべて仮名で書かれたものだと、前田家のハレとケの両方に及ぶ献立帳を拝見しながら教えていただきました。味わうと「じぶ」は、私の知る治部煮と違って、えらいおいしい。大友さん曰く、「そのとろみは小麦粉のホワイトソースの感じ」。なるほど、初めにじぶが出されるのは、懐石におけるご飯がわり、お酒の前の養いです。
大友楼らしい「鯛の唐蒸し」は九谷焼の大鉢に尾を跳ね上げて盛られ、取り皿に古九谷の絵皿が添えられます。まるまるした鯛の詰めものはおから。意外なほどの口当たりの滑らかさは、2時間以上の火入れによります。格の高い鯛と庶民的なおからという不釣り合いな取り合わせは、位の上の者から下の者まで皆が食べられるようにという、人々の暮らしの工夫に違いありません。鯛の皮が破れているのも「皮の裂け目は鮮度の良さの証、これが自慢です」(大友さん)
金箔に象徴される加賀百万石を“雅と豪華”とばかりに捉えていたのですが、大友楼の料理から金沢の真髄が少し見えたように思います。加賀百万石前田家の料理は、京都や江戸の仕事を真似ることはなく、加賀武士の母親がこしらえたハレの日の料理をそのまま客にふるまったのです。豊かな恵みに支えられ、土産土法(どさんどほう)に徹したがゆえに、その素朴、その力強さを失わないのです。だから、あのゴッホの絵と並べて評される美術品、古九谷の大鉢に盛りこんでも、堂々として見事に調和するのです。加賀において、古九谷は飾り物ではなかったように思います。
「せっかく金沢まで来てくださったのだから、たっぷり食べなさい」とご主人は繰り返し仰る。料亭に限らず金沢の食べもん屋さんでは、昔の母親の手料理と同じ愛情を今も伝えているように思います。
文=土井善晴 写真=岡本 寿
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旅のひとコマ<石川県金沢市>
出典:ひととき2020年6月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。
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