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奇跡の湖で古代の地球に触れる(福井県若狭町)|ホンタビ! 文=川内有緒

作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る連載「ホンタビ!」。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する。

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[今月の本]
中川 たけし
時を刻む湖――7万枚の地層に挑んだ科学者たち
(岩波書店)
万葉歌に詠まれ、国の名勝にも指定されている景勝地の湖底から土の縞模様「年縞ねんこう」が発見された――。2013年、「世界の標準時計」として認められた福井県若狭町の水月湖。研究者たちが描いた夢、国境を越えた友情、栄光と挫折……やがて〝奇跡の湖〟と呼ばれるまでの挑戦と苦悩の日々を、当事者のひとりが熱く語る自然科学ドキュメント。

 人生、なにごともやってみなくてはわからない。旅も行かないと良さがわからないし、ごはんも食べてみるまで味はわからない。しかし、今回の「年縞」は、その「やってみるまで……」スピリットの究極ではなかろうか?

 そんなことを考えながら、三方五湖みかたごこのひとつ、水月湖すいげつこに向かっていた。手にしていたのは『時を刻む湖』という本で、著者は水月湖研究に魂をかけた中川毅さんである。世界から集結した若き科学者たちが、この場所で前人未到の挑戦を行ったことはあまり知られていない。

 約30年前、水月湖の湖底に、過去7万年分もの連続した地層(年縞)がきれいな状態で残っていることがわかった。そもそも何万年も存在し続ける湖自体も珍しく、さらに普通ならば生物の活動や風雨で湖底の泥は攪拌されてしまう。しかし、水月湖はそうならない条件が揃っていた。

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全長45メートル、約7万年の厚みを持つ水月湖の年縞。ここに含まれている花粉の種類や量を調べると、当時の森の様子や周辺の景色まで蘇り、デジタル上で再現できる

 もし本当ならば奇跡だが、実際に引き上げてみるまではわからない。そこで研究者たちは、とにかくやってみよう、と決意。苦労を重ねながら、20
06年にその年縞を欠くことなく引き上げた。さらに何年もかけて緻密に解析。具体的にどうやって繊細な堆積物を引き上げ、解析したのか。そこはぜひ『時を刻む湖』を読んでいただきたいところ。それはもう紆余曲折のドラマの連続で、手に汗握る展開である。

 記念すべき2012年、水月湖の年縞は正式に「世界標準」と認定*! そのニュースは、世界中を駆け抜けた。言うなれば人類が地球史を読み解く新たな「ものさし」を手にした瞬間だった。

*第21回「国際放射性炭素会議」で認定、翌年正式に採用された

 え、なんだかスゴそうだけど、その意味がよくわからない? いや、実は私もそうなのです。そこで訪問したのが、三方湖の湖畔に立つ福井県年縞博物館である。

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福井県年縞博物館。横長の設計は年縞をすっぽりおさめるため

 博物館は横に細長い形状のユニークな建築物で、空中に浮いた方舟はこぶねのよう。展示室で目に入ってきたのは、ずらーーーーっと一直線にならぶ年縞。とても細かい縞模様が刻み込まれている。

 木の年輪のごとく規則的なサイクルで作られた1年分の縞の厚みは、平均0.7ミリ。それが約7万年分で合計45メートル!

「とても奇麗ですね!」と私はナビゲーターの福田英則さんに話しかけた。
 時間を遡るように順に見ていくと、たまに、縞模様が分厚くなっていることがあり、福田さんの解説が入る。

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年縞のアップ。縦縞1本=1年の計算。季節によって堆積物が違うため、縞模様の色も異なる

「鹿児島にある約3万年前の火山の火山灰です」

 おおっ、そこまでわかるのですね。

「そうです。含有する元素で火山灰がわかり、年縞のものさしに照らし合わせると年代がわかります」

 そうして私たちは1万1653年前の氷河期の終わりや、4万3713年前の古富士の噴火の時期がわかる年縞を見ていった。

 そう、この薄い縞模様の1枚ずつが、過去7万年分の時間と紐づけられている。たとえば地球のある場所で新たな化石が出土したとしよう。そのとき、放射性炭素の量をこの年縞のデータと照合することにより、何万年前のものなのかが正確にわかるのだ。水月湖は常にその「ものさし」としての役割を果たすので「世界標準」なのである。

「地球における7万年といえば、アフリカで生まれたホモサピエンスが移動を始め、世界中の大陸に散らばっていった時期と重なります」(福田さん)

 だから年縞は、はるか太古の人類の歴史を知る道具なのだ。

 博物館では、年縞研究を率いた中川毅さんや国際研究チームの写真も見ることができる。みんな生き生きとした表情をしている。きっと科学者として水月湖の可能性を信じていたのだろう。本の中で中川さんはこう書いている。

「信じがたいほど地道な作業が大半を占めたにもかかわらず、プロジェクトの雰囲気はいつでも非常に明るく前向きだったことを、最後に強調しておきたい」

 そのおかげで、今や子どもから世界的な地質学者までが、等しくこの先端科学に触れることができる。

水月湖と、大島半島

 年縞博物館をあとにした私は、レインボーライン山頂公園までドライブした。公園に向かうリフトに乗ると、みるみる視界が空に近づいた。澄み切った標高400メートルの山頂からは、美しい若狭湾、そして三方五湖を一望できた。

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レインボーライン山頂公園から三方五湖を望む。手前が水月湖、奥が三方湖。公園内には5つのテラスが設置されており、なかでも五湖テラスのソファ(写真左下)は一番人気

 うわあ……! 想像を遥かに超えた絶景だった。360度、湖と海、山と空が織りなす大パノラマがタペストリーのように広がる。しかも、好きなポジションで絶景を楽しめるようにと、展望台、巨大ハンモック、丸いソファベッド、足湯まで完備されているではないか。思わずハンモックに寝転がった。もう一日中ここにいたい……。

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レインボーライン山頂公園にて。レモンを入れると紫色に変わるレインボーブルーティーと、7種の味が楽しめるドーナツ

 もちろん水月湖もよく見えた。ひとつの湖を上空から、そして湖底までという2つの視点で眺められる場所なんて他にない。世界から「奇跡」と呼ばれた湖は、今日もただ静かに佇む。

 さらに、西の方角に目をこらした。若狭湾に面した大島半島は、私の亡き父の故郷だ。子どもの頃の夏の思い出といえばこの碧色へきしょくの海だった。リアス式海岸が作りあげる浜辺はいつでも波が穏やかで、従兄弟と夕暮れまで泳いだ。

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川内さんのお父様の故郷「大島半島」のそば、名勝「明鏡洞」を背に恐竜とのツーショット

 実は今回、10年ぶりに大島半島を訪ねた。1時間だけの滞在だったけれど、大好きだった灯台、漁船が並ぶ桟橋、透き通った海と浜辺もそのままだった。なんだか、奇跡みたいだ。水月湖が奇跡ならば、思い出の中と変わらぬ風景を見られたことも奇跡に思えた。

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川内さんが幼い頃から大好きという大島半島東端の赤礁埼あかぐりさき灯台。1967年(昭和42年)に初点灯された。天気がよければ美しい夕日と出会える

 旅の途中、泉岡一言いずみおか神社に立ち寄った。神殿がなく山そのものをご神体とする神社である。誰にも言わずひとつだけ願い事をすれば叶うという言い伝えがある。

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奈良の葛城一言神社から勧請した泉岡一言神社。ご祭神・一言主命の「ほこらを作らないように」という言葉通り、全国的にも珍しい祠がない神社

 苔むした参道を進むと、拝所があり、その向こうに山がそびえていた。山に向かって手を合わせた。

 こういう時私は、たいてい「今年こそ痩せたい」とか、「次回作こそベストセラー」など即物的かつ自分のことばかりを願うのに、今日に限っては他の人の幸せを願った。私の祈りなんてなんのテコにも突っ張りにもならないかもしれない。でも、信じて、祈りたかった。これも科学史に残る偉大な仕事を目にしたせいなのかもしれない。

INFORMATION
福井県年縞博物館
☎0770-45-0456
http://varve-museum.pref.fukui.lg.jp/
レインボーライン山頂公園
☎0770-45-2678
http://www.mikatagoko.com/
川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家になる。第33回新田次郎文学賞『バウルを探して』(幻冬舎)、第16回開高健ノンフィクション賞『空をゆく巨人』(集英社)など著書多数。

出典:ひととき2021年11月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。



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